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父はハッカー(一)

 広いオフィスの窓際に大きな机がある。そこで新聞を読んでいる暇そうな人。それが部長だ。

 威厳のある腹と、見事な髪型。肘掛を当然の様に使う。

 だが、目は死んでいる。


 木漏れ日を背中に受けて、ウトウトしたい所であるが、朝から読んでいるこの新聞、いい加減に読み終わらなければ。

 下手をすると会社が終わって、夕刊が来てしまう。


 暫くして、昼休みの終了を伝える鐘がキンコンと鳴ったが、部長には聞こえなかった様だ。

 最後のノビをして、仕事を始め様とする社員の腕を避けながら、トコトコと女性社員がやって来た。


「琴坂さん、そろそろお願いします」

「ん? あぁ、午後いちだったね」

 午後いちとは、午後一番の略。つまり十三時ジャストーッ! のことを指す。


 類似の単語には、九時ジャストーッ! の『朝いち』、十七時ジャストーッ! の『夕いち』、エアコンが切れる二十時ジャストーッ! の『夜いち』がある。


 答えに頷く女性社員を見ながら、なおもお茶に手を伸ばし、一口飲み込んだ。


 琴坂牧夫・A型。おとめ座の四十五歳。妻一人、子供二人を家に残し、会社という名の戦場で部下を率いて戦う男である。

 その行動は冷静にして沈着。しかし一度行動を起こせば、無駄を廃し、ゴールに向って常に最短距離を行く。正に戦う男。


 その姿を見た者は、彼を信頼して後に続く。だからこそ勤続二十年目の今年、遂に課長に昇進したのだ。


「部長、行ってきます」

 男にしては少し甲高い声だ。牧夫は振り返って、後ろに控える高田部長に頭を下げる。しかし高田の顔は、スポーツ新聞の影に隠れて見えなかった。

 まぁ、部長とはこんなもんだ。

 牧夫は食べ掛けの愛妻弁当に蓋をすると、引き出しに放り込む。


「今日は何人?」「二十五人です」「そう」

 牧夫を呼びに来た山崎が、短く答えて歩き始める。牧夫も直ぐに後を追おうと席を立つ。

 椅子に掛けてあった上着を右手で引っ張ると、背もたれが右足に当り、さらにその右足が机に当って、ガン! と大きな音がした。


「いてっ!」

 周囲が顔を上げるが、ニヤリと笑っただけで直ぐ仕事へ戻る。

 まだ課長用の大きな机に、慣れていないのだろう。丸判りだ。

 それでも大した被害は無かったらしく、左手で右足をニ、三回擦り、チョンチョンと左足で跳ねて牧夫は歩き始めた。


「まっきー」「はい!」

 後ろから太い声がして、牧夫は立ち止まった。部長のお呼びだ。

 直ぐにリターン体制を取って振り返る。


「机壊すなよぉ」

 新聞を畳みながら苦笑いする高田の顔が見えて、牧夫はホッとした。黙ってペコペコと頷くと、社員の背中が並ぶ通路を会議室へと向って急ぐ。


 途中ゴミ箱をひっくり返してしまったが、それは課長の威厳により『御免』とだけ残し、エレベータホールへ消えて行った。


 会議室には新人社員と契約社員の合わせて二十五人が、講師の到着を待っていた。新人社員は他にすることがない、というかこれが研修という名の仕事なのだ。


 契約社員にとっては、判り切った話が待っているので、多少退屈だ。しかし外見上、両者を見分けるのは困難である。

 それはこの部屋にいる全員が、人間だからだ。


「では、始めまーす」

 そう言いながら牧夫が会議室に入って来た。会議室に集められた五十の瞳が、イスに足を引っ掛けて痛がる牧夫を捉える。


 そして思う。ハッカーと言ってもこの程度か、と。


 牧夫は苦笑いをしながら講習を始めた。今日は会社で仕事をする上での注意事項を伝えに来たのだ。


「では、セキュリティー教育を始めます」

 そう一方的に宣言しても、反対する者はいない。牧夫は勝ち誇ったように頷いて、手元の資料を持ち上げた。


「だいたいのことは、その資料に書いてあるんですけどね」

 その一言でセキュリティー教育が終わる。

 そう期待したのは派遣社員達だ。早く仕事に戻りたい。そして、雨が降る前に帰りたい。


「一応説明しますねー」

 それは無理だった。いや、説明が無理というのではなく、五秒でセキュリティー教育が終わるということだ。


「先ず最初に気を付けないといけないのはー」

 牧夫が資料を持ち上げて声を張り上げる。

 それを見て受講者は全員手元の資料に目を落した。この会議室に呼び出され、着席してから三十分。既に一読は終わっている。


「机の中は、整理整頓してください」

 そんなことは資料には書かれていない。

 十五人程が顔を上げて、講師を見る。そこには、思案に暮れる牧夫の姿があった。


 今は講師をしているが、それは本業ではない。仕事の合間に頼まれてやっていることだ。


 考え込む牧夫の姿を見て、その十五人は考えを改めた。

 この講師は、資料には載っていない『何か大切なこと』を、伝えようとしているのだ。


 牧夫は、机に放り込んだ弁当箱の下に『午後二』で使う資料があったことを、思い出していた。


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