試験(十一)
「ごちそうさま」
そう言って琴美は、茶碗と箸を持って立ち上がった。そして流しへ向かって歩く。後ろから母の声が聞こえる。
「申し込みするんでしょ?」
何を申し込みするかは判っている。ジャパネット試験だ。
「うん」
琴美は短く答えた。大学受験の願書を提出するのに必要なら仕方ないだろう。
それに父でさえハッカーの称号、いや、ハッカー級のホルダーなのだ。大したことではないだろう。
琴美は再び母親の横を通り過ぎ、リビングの扉から廊下に出た。扉が閉まる瞬間に、牧夫がぽつりと言う。
「やっぱり東京行くのか」
琴美には聞こえていなかった。それが証拠に、可南子が呼び止めた声も、届いてはいなかったからだ。
「あっ、水羊羹あるわよ?」
琴美の好物なので、可南子が立ち上がって呼び戻そうとしたが、牧夫がそれを止める。
「水羊羹食べる」
琴美の水羊羹好きは、父の遺伝である。
「ぼくもー」
優輝にも遺伝した。
「はいはい」
可南子は茶碗を持って、流しへ向かった。
「あとお茶ね」
「ぼくもー」
鼻歌を歌いながら冷蔵庫を覗き込んでいる可南子に向かって、リクエストが飛んだ。
もしかして、水羊羹好きの遺伝は可南子かもしれない。
もし両方の『水羊羹好き遺伝子』を受け継いだ場合、冷蔵庫の扉が閉まっていても、水羊羹の存在を感じられるはずだ。
人間とはそういうものだ。
牧夫は、お茶のリクエストに返事がないことを気にしていなかった。何故なら夫婦の心は固い絆で繋がっているからだ。
水羊羹には温いお茶。それは今までに、幾度と無く繰り返されてきた琴坂家の歴史であり、伝統であったからだ。
「ジャーン。三十パー引きだったのー」
「どてっ。それか」「なんだー」
それは丸嶋屋のではなく、スーパーの特売品だった。
「じゃー食べないの?」
可南子が聞く。きっと返事によっては、全部食べてしまうだろう。
「たべるよ」
「たべるよ」
可南子は優輝の性格が、牧夫に似て来たと思ってクスッと笑った。




