失敗と成功の狭間(十二)
「この子、ほんっっとぉに、『面白い子』だねぇ!」
感心したように朱美が言う。楓はブンブン頷いている。
「でっしょぉ? もうね。最高ぉ!」
そう言って『宣誓中』の琴美を引っ張って、席に着席させた。
琴美の顔はまだ真っ赤であるが、それは『特大のギャグ』をブチかましたからか、それとも『生きる為に必死』だったからか、二人に見分けは付かない。
ただ一つ言えること。
それは、この世界であっても、昼休みに社員食堂で『君が代を三番まで歌おう』としたり、『大日本帝国憲法・第九条を諳んじる』女子は、居ないと言うことだ。
そんな子がいたらどうなるか。
考えるまでもない。そんなの『臣民か否か』を問わず、『調査』と称して『引っ張られてしまう』に違いないのだ。
少し息が荒い琴美が、心配そうに問う。
「私『帝国民』ぽかったですか?」
「ブッ!」「ブッ!」
朱美と楓が噴き出したのは、同時だった。そして笑い出す。
「ぽかった! 確かに! あははっ! ひぃぃっ!」
朱美の方は社会人として良識の範囲で、あぁ、ギリ良識の範囲で。
「うん実に『ぽ』かった! ぎゃははっ! 受ける! 琴っ!」
楓の方は学生らしく、そして友人らしく、遠慮なく笑い飛ばしている。琴美の肩を叩きながら、語尾はむせて聞き取れない程に。
それでも二人は、琴美の反応を見て、余計に笑い出してしまっていた。笑いの勢いが止まらない。
何故なら、琴美が二人からの評価を受けて、凄く満足そうに『やり切った感』を、出していたからだ。
琴美肩をガッと引き寄せて、楓が耳元で囁く。
「いやね、琴美さん。色々覚えるのも良いが、先ずは『日本語』から、勉強しましょうね? 約束よ?」
ポンポンと叩いて、落ち着かせる。自分も含めてだが。
「そう? わたーし、日本語、結構前から、話せるぅよ?」
まるで気が付いていない。琴美は二人を殺す気なのだろうか。
再び笑い始めた楓に、体全体を揺すられていた。
「ひっ。昼休み終わるから、私行くわっ。又ね」
腕時計を見た朱美が席を立つ。楓に揺すられながらも、琴美がそれに反応していた。
「あ、デザートごちそうさまです」
「うん。良い良い。面白かったから」
「一応、父によろしくです」
「あぁ、そうね。お父さんに言っとく」
そう言われては、琴美には嫌な感じだ。
「やっぱり、止めて下さい」
「えぇっ、ダメ。言っとく。絶対言っとくからっ!」
琴美の願いは聞き入れられそうにない。ていうか、もう父を探しているようにも見える。
あっという間に人混みに紛れて、見えなくなってしまった。
「私達も行こうか」
「あっ、そうね」
二人は席を立った。
するとそこへトレイを持った別の客が直ぐにやってくる。
昼休みの社員食堂は、席取りもまた戦場なのだ。
琴美はトレイの下げ口で、マフィンの紙ごみをゴミ箱に捨てる。
「お義姉さん、優しい感じの人で良かったね」
「そうね。兄貴には『出来過ぎた嫁』でね」
片目を瞑って答える。それでもゴミ箱へのシュートは外さない。
「そうなの? お兄さんも『エリート』って言ってなかったっけ?」
「あぁ、言ってた言ってた。でもね。あそこまではねぇ」
複雑な表情を見せる。綺麗で優しいお姉さん。何の不満が?
「何? 何? 黙っててあげるから、言ってごらんなさい?」
琴美は、軽い気持ちで楓に聞く。やましい気持ちはない。
それは社員食堂で、同僚と食事を済ませた後の、トレイ下げ口からエレベータホールまでの、ちょっとした会話なのだから。
「お義姉さんね、731部隊のスパイなんだよね」
楓が琴美に相談した内容は、誰かが聞いて内容が判るものではなかった。もちろん、朱美がそこに居れば、当人には判るだろう。
だから、丁度背中から楓の声を聞く位置にいた琴美は、それを聞いて振り返る。
楓は、琴美がそんな表情をするのを、初めて見た気がしていた。
「私、ちょっとトイレ。漏れそう!」
物凄く深刻な顔。楓には判った。直ぐに頷く。
それを確認した琴美は、臆面もなく『前も後ろも』押さえて、女子トイレを求めて走り出す。
楓はそんな琴美を見て、ニヤリと笑った。
「日本国から来た人の特徴、そのよん」
ポツリと言ってその先は黙る。周りに人がいたからだろうか。そのまま歩いて行く。
エレベータホールで琴美が帰ってくるのを待つ。
人を避け、壁際に立ち止まる。スッと息をした。
『731部隊と聞いて、過剰に反応する』
それは誰にも聞こえないように、心の中で呟く。
この世界で『731部隊』は『現役の秘匿部隊名』である。一般的に知られておらず、また、その『任務』まで『秘匿中の秘匿』なのだ。女子大生が知る筈もない。
幾ら調べても、どこにも存在しない情報。それを知っているのは、何故か『日本国』から来た者だけなのだ。
「決まりじゃーん」
楓は気配を消す。壁際でカバンからスマホを取り出し、ダイヤルを四つ押した所で止めた。再びスマホをカバンに放り込む。
そして、代わりにハンカチを取り出すと、直ぐに笑顔へ戻す。
琴美が両手で『指揮』をしながら現れたからだ。実に面白い。




