失敗と成功の狭間(十一)
ゲホゲホしている琴美の背中を、楓が擦っている。
対面にいる朱美が、通りすがりの同僚に『何でもないでーす』と笑顔を振り撒き、君が代斉唱に沸いた社員食堂を、元の雰囲気に戻していた。
やがて社員食堂は、只の喧騒に戻る。
「大丈夫だって。別に取って食おうって思ってないから」
楓が琴美の目を見て落ち着かせる。
「そうそう。私達はっ」
それを覗き込むように朱美が言葉を足す。
「駄目だって。そういう怖いこと言っちゃ」
楓が直ぐに否定した。しかし朱美は引き下がらない。
「だって、そうだから。ねぇ。ハイハイ。大丈夫ですよぉ」
朱美は時計を見た。昼休みはもう直ぐ終わりだ。
「あのねぇ『日本国』から来た人はねぇ、『凄く貴重』なんで、気を付けてねぇ」
ヒソヒソ声で朱美が言う。楓も同意して頷き説明を足す。
「そうそう。どこの『日本』から来たのかは知らないけれど、『日本国』からの人はね、『実験するのに凄く貴重』なのでっ」
そう言って琴美の肩を強く掴む。
「こう『バッ』って掴まっちゃうらしいからねっ!」
琴美は否定も肯定もせず、ただ目を大きくしているだけだ。
一体どこで『バレた』のだろうか。少なくとも、今までは上手く隠して、平穏に暮らしていた筈なのに。
「日本国から来た人の特徴! そのいちっ!」
楓が人差し指を突き立てて、琴美に示す。琴美は思わず頷いた。
「広島の産業奨励館を『原爆ドーム』と言いがち」
「そうそう。あと『核爆弾』を何故か『原爆』と言いがち」
琴美は『そんな見分け方があるんだぁ』と、あくまでも『知識体系』と認める顔だ。しかし、自分には関係ないと目で訴える。
もちろん、その裏では必死に考えている。
果たして『原爆』と口にしたことがあっただろうか。無い。
少なくとも楓の前では。うん。無い筈だ。
何故ならこの世界、実戦投入は初っ端から『水爆』だったのだ。なんて恐ろしい世界だと思った。言い間違える筈はない。
「日本国から来た人の特徴! そのにっ!」
さらっと流されて、楓が二本指を突き立てている。
「戦艦と言えば何でも『大和』と言いがちぃ」
そう言いながら楓は琴美を覗き込む。朱美も頷いた。
「そうそう。宇宙戦艦まで何故か『大和』と言いがちぃ」
じっと琴美の顔を覗き込むが、琴美に特別な反応はない。
琴美も、それには早くから気が付いていた。
確かに戦艦と言えば大和だし、大和糊を見て『大和は不滅。形を変えて日本人の心の中に生きている』と、思った程だ。
だから、真っ先に調べたのだ。それでこの世界が『まだ日露戦争やってる』に、行き付いた。大和も本当に『不滅』だったのだ。
だから『宇宙戦艦ナガト』には驚いた。何それ? である。滅茶苦茶驚いた琴美は、日本の戦艦についても調査済である。
全部覚えて空で言える。山手線ゲームにだって対応できちゃうゾ。
富士、八島、敷島、朝日、初瀬、三笠、丹後、石見、香取、鹿島、薩摩、安芸、河内、摂津、金剛、比叡、榛名、霧島、扶桑、山城、伊勢、日向、長門、陸奥、紀伊、尾張、常陸、岩城、大和、武蔵、信濃、そして最後に、四万十? じゃなくて、あぁでかい奴!
あぁっ、しまった! 最後のでかい奴ぅっ、名前がっ!
「日本国から来た人の特徴! そのさんっ!」
時間切れかっ。楓が三本目の指を突き立てた。
「憲法について何も知らないのに、『九条』には固執しがちぃ」
もちろん、言いながら琴美をじっくり観察している。
「そうそう。何故に『九条』なのか知らないけど凄く固執しがちぃ」
朱美も琴美をジッと見て、果たしてどんな言訳を口にするのか、反応を確認しているのだ。そこで朱美の眉毛がピクっと動く。
琴美が右手をシュっと挙げたからだ。まるで宣誓の如く。
「あー。憲法九条。天皇はぁ法律を執行する為にぃ又は公共の安寧秩序を保持しぃ及び臣民の幸福を増進する為に必要なる命令を発しぃ又は発せしむ? 但しぃ命令を以て法律を変更することを得ず?」
朱美と楓は『ポカーン』として固まる。そのまま、真顔で大日本帝国憲法第九条を諳んじている琴美を、じっと見つめていた。
琴美は知っていた。この時代も、憲法は一度も改正されていないことを。だから、念のため大日本帝国憲法も暗記しておいたのだ。
それに第一章『天皇』なんて、きっと帝国軍人なら諳んじて当たり前に違いない。
そうだ。何だったら『教育勅語』も諳んじましょうか?
我は、栄えある帝国の臣民なり!
この時琴美の瞳は、確かに『八紘一宇』を受け継ぎ、輝いていた。
引用 松本零士『宇宙戦艦ヤマト』




