失敗と成功の狭間(九)
「マイクを連れて行かないで!」
社員食堂に琴美の声が響いた。両手を前に差し出し、涙も飛び散る勢い。まるで十年前とは思えない、迫真の演技だ。
それでも周りはもっと『ガヤガヤ』しているからか、それとも余り関心がないのか。
振り返った『観客』は、二人だけだ。
それに、琴美に自白剤は不要のようだ。
マフィン一つで、さっきから『冷蔵庫で飼っていた猫の話』で盛り上がっているのだ。
「って、その猫をね、返して貰いに行ったら、シャーッシャー」
今度は顔を猫に変化。右手で朱美の顔をシュッ!
「全然懐いてないじゃん!」
本当に引っ掻かれた訳ではないので、朱美はまた笑うだけだ。
「ねぇ。恩知らずの猫!」
楓はマフィンをかじりながら、まるで自宅のようにリラックスしているではないか。
「で、ですね。お父さんがその猫を『会社で飼う』って言って、連れて行ったんですよ」
「会社へっ! なんで?」
朱美は会社に猫がいたなんて、聞いたことがない。
「本当は何処なん?」
ことの顛末を聞いても、二人は笑い続けている。
「えー。優しいお父さんじゃん。それでその猫は、どうなったの?」
この会社、何処か可笑しいなと思っていたのだが、昔から可笑しかったのだろうか。
すると琴美が急に不貞腐れ始める。
「何か、会社で勝手に『ミケ』って名前に、変えられちゃってぇ」
「えっ?」
驚いたのはハッカー名として『ミケ』の名前を引き継いだ者だ。
「だって、白と黒のブチだったのに、何で『三毛猫』になっちゃうのよぉ」
命名者の朱美は、勝手に改名した『馬鹿上司』を思い浮かべて、三代先まで呪ってやる覚悟を見せている。
「何でだろうねぇ」
そう言いながらも、楓は『mike』と書かれた名前を『ミケ』と読んだだけだと思っている。
「それは許せないわよねぇ?」
自分に割り当てられたコードネームの由来が、誰でもない『猫』と聞いて、憤慨していた。
まぁ、そんな予感もしていたのだが。今度『高田部長』を問い詰めないと。
「その猫、どうなったの?」
楓が面白がって聞く。直後にマフィン最後の一口を頬張った。
「硫黄島へ『島流し』に、なったらしいよ?」
それを聞いた楓は、マフィンを吹き出さないように押さえ、机をバンバン叩いて面白がったが、朱美の顔からは笑顔が消えた。




