恋路の果てに(四十七)
少佐は受話器を置いた。そのまま腕を組んで考える。
部隊長室に居るのはあと二人。一人は少佐の方を見て、次の質問を待っている。
もう一人は『少佐の番犬』こと、井学大尉だ。まるで少佐を守るように少佐の机の前に立ち、男との間に割って入っている。
「それで、如何致しましょう?」
少佐の思考を邪魔する馬鹿者が、良く今まで生きていられたものだ。大尉はそう思って顔をしかめる。
振り返ると、案の定少佐が片目を開けて『ん?』と投げかけているではないか。
「静かに」
男の方に向かって大尉が警告すると、後ろから少佐の漏れ出るような声が聞こえて来た。
「でぇ、だ。私が『迎賓館入り口に招待しろ』と、そんなことを言ったのかね?」
少佐の思考時間は終わったようだ。両目を開けて前のめりになる。
「いえ。仰ってはおりません」
「じゃぁ、どういうことだ?」
少佐は、悩み事が更に増えてしまったようだ。イライラして頭を掻き始めた。
しかし少佐が対峙しているこの男は、そんなことはお構いなしのようだ。むしろこちらの方が、イライラしているようにも見える。
さっきから少佐が話しているのは部隊専属の『ハッカー』である。
「ですから『口頭』ではなく、『書面で許可を得た』と、報告しているのであります(キリッ)」
すると少佐は椅子に寄り掛かる。あからさまに『なんだぁ』である。それは『口頭』でもなく『書面』でもないが。
少佐が睨み付けたのは、コードネーム『カミダイスキー』である。例によって、少佐が拾って来た。
ロシア人と日本人のハーフ。民間人である。
見た目は日本人だが、胃袋はロシア人。だから日本酒よりウォッカの方が好き。
酔っぱらって踊るのは盆踊りではなく、コサックダンスの方が得意。飲んで歌って、歌って飲んで。それで会社を首になった。
女は黒髪より金髪。分厚い本より薄い本が好き。そんな奴だ。
とても優秀な奴である。飲んでいなければ。少佐は溜息を付く。
「もしかして、『高電圧手錠』の使用も?」
「はい。七頁目の『第八項 常備品の持ち出し許可』の欄に、部隊長のサインがございます」
「あれか? 『捨て駒』についてもか?」
「はい。二十四頁目の『第三十五項 研究所からの一時出庫願い』及び、二十五頁目の『第三十八項 護送にかかる軍用ハーフボックス借用願い』及び、四十八頁目の『第六十六項 逃亡時の射殺許可願い』とですね」
「あぁっ! もう良い!」
少佐は思わず話を打ち切る。しかしカミダイスキーの報告は続く。
「最後にですね。え? あと一つですが?」
と思ったら、途中で止まった。少佐は右手を上下に振る。
「判ったから。全部私がサインしたのだな?」
自分を指さして念を押す。するとカミダイスキーは笑顔になる。
「仰る通りです」
少佐は頭が痛くなった。カミダイスキーが来てから、書類が増えて困っているのだ。
「ハーフボックスの制御システムに侵入して、教授の行先を乗っ取ったのか?」
聞きたかったのはこちらだ。そんなことが出来るとは、思ってもいなかった。
「はい。座標を入れ替えるだけの『簡単なお仕事』ですから」
特に自慢するでもなく、淡々と答えた。
この男『ハッカー』と言うより、実は『クラッカー』なのである。
「それは戻しておいてくれ。今度は『普通に』呼んでくれ」
「はい。もう戻してありますが?」
「仕事が早いな」
少佐は感心して頷く。しかしカミダイスキーは書面を指さした。
「申請時に『召喚後元に戻す』と、許可を頂いてます」
少佐はもう一度頭を掻いた。今度から書類は良く見よう。
「あぁ、そう言えばそうだったな。戻した所で悪いのだが、今度はこう書き替えてくれ」
「はい。承ります」
「弓原徹と山崎朱美が空港に向かう場合は『研究所』に直行」
少佐は目で『OK?』とカミダイスキーに問う。カミダイスキーも目で『楽勝っす』と訴えると、頷いて笑顔になった。
「承知しました。持ち帰り確認し、後で議事録をお持ちします」
少佐はカレンダーを見た。議事録は、二週間以内には来るはずだ。




