恋路の果てに(四十五)
課長の話を聞いても、朱美は表情を変えなかった。
心の中では驚いている。それを『見せていない』だけだ。
朱美が封筒を開けたとき、出て来たのは『調べてくれ』という徹からの手紙と、『見てはいけない薬』だった。
忘れたことはない。だから、調べることもない。
それは朱美が『強制的に開発に動員され、極秘に配布した秘薬』であったのだ。
その後朱美は資料を製薬会社に残し、NJSに飛ばされた。それもまた『命令』であった。
もしあの手紙が『X線検査』されていたならば、今頃朱美は『研究所』に居た筈だ。朱美は素早く考える。
それが今『自由の身』となったことには意味がある。
一つは『まだ役に立つと思われいる』か。
これは違うだろう。『女の代わり』なんて、幾らでもいる。
そうでなければ『秘薬のレシピを知っている者』であること。
これも理由としては微妙だ。既に記録として残っているからだ。
別に朱美を『生かしている理由』にはならないだろう。
考えられるのは、『本当は検査されていない』ということだ。
少佐も『なかなかに酷いお人』ではあるが、事実を積み上げて行く努力は惜しまない。そんな人だ。
何らかの理由で『あの手紙』は検査をすり抜けた。
つまり少佐は、嘘を付いているのだ。
朱美は事実を確認して、安心したかった。
「少佐の無茶振り? それとも、本当は手抜き?」
問い詰めるように聞くが、小声。そして悪戯っぽい顔。
「ちょっと本当ですって。基地から届いた関係者の手紙は、『検査は省略』って、決まっていたんですよ!」
課長は『勘弁して下さいよ』という顔。小声で返すが、語尾は強調した。
朱美は『フーン』という、疑いの目だ。あの少佐が、そんな『温いチェック』を、許す訳がない。
それに今の説明には、もう一つ『疑問点』がある。朱美は直ぐに気が付いて、その点を聞く。
「差出人が未記載だったのに、何で関係者って判ったんですか?」
少し声が大きくなっていたのだろうか。
途中から課長が驚いた顔をすると、両手を上下に振りながら『もっと小さな声で』と、目で言っている。
もう一度周りをキョロキョロして、誰もいないのを確認する。
「切手がね。『記念切手』だったんですよ」
そう言われても、朱美には意味が判らない。仮に『記念切手』が決め手であったとしてもだ。
そんなことより朱美には、『徹が朱美に隠していた事実』に、正直驚いていた。
それは、『徹が軍の関係者』ということだ。
「どうして『記念切手』を使うと、関係者なんですか?」
小声に戻して、朱美は課長に聞いた。課長は笑顔になった。
「昔は『軍事切手』という『軍専用の切手』を発行して『実質無料』で郵送していたんですけど」
「へぇ。そうなんですか」
「ええ。今は売れ残りの『記念切手』を割安で仕入れて『少々有料』にしているんです」
片目を瞑り、課長は『内情』を説明してくれた。
それを聞いて朱美は納得する。
徹が『軍の売店で買った』のか、それとも『庶務に貰った』のかは知らないが、思い付いて出した手紙が、勝手に『関係者から』と誤認されたのであろう。
それに朱美は課長の説明を聞き逃さなかった。
課長は意識していなかったのだろうが『決まっていた』と、『過去形』で話していたことだ。
つまり今は『関係者でもX線検査は有り』。そうに違いない。
だとしたら、『関係者』のみが許される行為についても、変更された可能性があるではないか。
朱美は一つ、試してみることにする。
「じゃぁ、私も『記念切手』を頂こうかしら?」
民間人の朱美が、襟に指を添えて笑顔でお願いしている。
課長は目を丸くした。しかし、直ぐに気が付く。
目に前にいる人が『お客様』であることを。
「え? そうですか? 毎度ありがとうございます」
そう言うが早いか、カウンターの下から『記念切手』を沢山出して並び始める。朱美は笑顔のまま、その切手を眺めていた。
「この肖像って、誰なんですか? 偉い人ですか?」
それは一円切手の『前島密』ではなく、ハガキ用の六十三円切手。知らない人だが、どう見ても軍人には違いない。
聞かれた課長は、その切手シートを持って、じっと眺める。




