恋路の果てに(四十四)
部隊長室を出て、井学大尉と朱美は長い廊下を歩く。『ご案内します』と言った割に、特に案内をしている様子はない。
むしろ朱美の方が、少し先を急いでいるようにも見える。
しかしその朱美が、廊下の途中で立ち止まった。思わず大尉が朱美を追い抜いて立ち止まる。
「すいません。お手洗いに立ち寄りますので」
朱美は『お手洗い』の看板を指さして、大尉に笑顔を振り撒く。
「そうですか。どうぞ」
大尉は頷き、右手で女子トイレの方を指して、そこで『休め』の姿勢になった。朱美はそれを見て、大尉にもう一度笑顔を振り撒く。
「お見送りは、ここまでで大丈夫です」
首を少し傾げてご挨拶。朱美にしてみればそれは『ご機嫌よう』であり、別れの挨拶である。
大尉は迷う。少佐に『お送りして』と命令されたのだ。
それはきっと『ハーフボックスに乗り込む』所までお見送りして、ついでに『行先を確認』して、そんでもって『怪しい所だったら直ぐに報告せよ』と、言っているのではないかと。
「あのぅ。今日は、生理なので、時間が掛ります」
それは嘘だ。余り細かく説明すると、朱美に後頭部を殴られてしまうので簡潔に。
徹にバカスカぶち込まれtぇ;あldksf
「ここ、白い線ね。後頭部を骨折してる所。判る?」
医者がレントゲン写真を指して、徹に説明している。徹は驚いて自分の頭を押さえ、写真を凝視した。
「先生。それ、私のじゃないですよ?」
慌てて医師は、レントゲン写真の下を凝視した。
「あぁ。これ、さっき救急車で運ばれて来た、永島さんのだ!」
医師はパソコンの操作が少々苦手のようだ。照れ笑いをして、もう一度クリックし、別のレントゲン写真を画面に表示する。
「弓原さんのは、こっちでした」
笑って誤魔化す良い根性。
徹も痛くない頭を擦るのを止め、手を膝の上に置く。
「びっくりしたぁ。どこも痛くないのに。骨折なんて言うから」
納得した徹が、安心した笑顔になる。それを見た医師は、深刻な顔になって、考えている。いや、感心している。
「しかし飛行機が墜落したのに、骨折もしないで良く生きてたねぇ」
見落としがないか、じっくり観察。しかし、どこにも異常はない。
「どこも痛い所はないですか?」
レントゲン写真を見ながら、医師は徹に聞く。
「はい。大丈夫です」
そんな医師の様子を見ながら、徹も正直に答える。もし『痛い所』があるとしたら、それは『心』かもしれない。
医師が頷き、再び徹の方に向く。そこで、もう一度考えている。
「じゃぁ、一応入院しときましょうか」
「えぇっ! 元気なんですけど!」
徹は強くアピールしたのだが、医者は首を横に振るばかりだ。
「では、私はここで失礼します」
大尉は素直に引くことにした。女性の取り扱いに慣れていない大尉は、さっきから緊張していたのだ。
なにせ朱美は、子供の頃から地元でも評判の『美人さん』だったからだ。しかし、中学から東京の私立に通っていた朱美は、地元には滅多に現れない。
朱美は知らないだろうが、大尉は小学生の同級生と朱美の家まで行って、生け垣の隙間から覗き込んだこともある。
大尉をお手洗いで見送った朱美は、用事を済ますと、その足で向かったのは通信課である。確認したいことがあったからだ。
「御免下さい」
通信課の窓口から中を覗き込み、朱美は声を掛けた。
すると課長がパッと席を立って、窓口に走って来る。朱美が会釈をすると、課長は何度も頭を下げて来るではないか。
「いやぁ、どうもすいませんでしたぁ」
先に詫びを入れたのは課長の方だった。朱美は少し不思議に思いながらも、『当然』という感で頷く。
「どうも。色々と『ご面倒』、見て頂いたみたいで」
すると課長は窓口から廊下の方を気にしてキョロキョロする。人が居ないのを確認すると、朱美にヒソヒソ話を始めた。
「部隊長から、何か言われませんでした? 大丈夫でした?」
「ええ。『危ないから処分しといた』そうです」
朱美もそっと話す。すると安心したのか、課長は笑顔で頷いた。
「そうですか良かったぁ。いやぁ、チェック対象外の郵便まで『チェックしたか?』って言われた時は、もうびっくりしちゃってぇ」




