恋路の果てに(四十)
朱美は『弓原徹』以外、このスマホに名前を登録していない。少佐が見せた画面は、その『弓原徹』との通信履歴だったのだ。
「それは、あの、ちょっと、困ります!」
困惑気味に朱美が言うと、少佐は朱美から目を離し、手帳を見る。朱美の苦情なんて無視だ。少佐も手帳にびっしり書かれたランダムな数字と、その下にある『単語』が並んでいるのを確認。
スマホを置いて数字を覚えると、両手で手帳を持ってその数字を探す。まぁ『少佐の仕事』としては、少し地味かもしれないが『機密保持』のためだ。手は抜けない。
しかし、指を舐めながら探している間に、スマホのバックライトが消えて、見えなくなった。イライラするではないか。
少佐は右目の目尻だけを上に引くと、口をへの字に曲げる。
「大尉」
静かな声で大尉を呼ぶと、番犬は直ぐに飛んで来る。これは『お前が探せ』と言うことだと理解し、大尉は喜んで尻尾を振る。
手帳をパクっと受け取ると、直ぐ隣に立って姿勢を正し、顔の前に手帳を配置。準備完了を少佐に会釈で報告した。
それを確認した少佐は、再び朱美の方に笑顔を魅せる。
「292!」
スマホに表示されている数字を、朱美に向かって叫ぶ。その間も朱美は『苦悩に満ちた表情』を少佐に向けている。
「良いわ!」
大尉が叫ぶ。流石若人。手帳を捲るのも早い。
大佐は一層にっこり笑う。どうやら何かの返事のようだ。声を張り上げて次を読み上げる。
「885!」「お願い」
「232!」「下も!」
数字を読み上げる少佐が不思議な顔になり、大尉を見る。
「137!」「そこっ!」
大尉は真剣な顔。対応する文字を叫んでいるだけだ。
「353!」「来てる!」
「292!」「良いわ!」
「019!」「イクッ!」
「最後は、そ・の・ま・ん・ま・じ・ゃ・な・い・か!」
少佐が右手で机を『ドン!』と叩き、顔を真っ赤にしている。
朱美だって下を向いたままだ。顔は見えないが、きっと真っ赤になっていることだろう。
一人慌て始めたのは大尉だ。
何か少佐を『怒らせること』を、してしまったのだろうか?
疑問に思いつつ手帳から目を離し、少佐の左手にあるスマホの画面を覗き込んだ。
すると理由は直ぐに判った。少し安心して、少佐に指摘する。
「少佐これだと『イク・イク・イク・イク・イク』になるのでは?」
「ばっ・かぁ・もぉ・んっ!」
相当お怒りだ。少佐は椅子から勢い良く立ち上がり、大尉から手帳を勢いよく奪い取る。果たして手帳の行先は何処か。
『バシィィィン!』
机上に叩きつけた。大尉が驚いてジャンプする。
かなり大きな音がして、手帳が机上を滑って行き、机上からK点越えのジャンプ。飛距離二メートル三十五。飛型点・19点・19点・19点・19点・19点。かなり良い点数だ。
朱美の足元まで飛んで行った手帳を、朱美は放置している。まだ下を向いているからだ。とても少佐に顔を向けられそうにない。
なぜなら、吹き出して笑うのを、必死に堪えているからだ。
少佐はゼイゼイしながら、朱美を睨み付けている。
大尉だけは、何が起きたのかまだ理解できずに、机を回り込んで手帳を拾いに向かっていた。
その間、ずっと少佐は朱美を睨み付け、朱美は下を向いている。
大尉が手帳を拾い、申し訳なさそうに少佐に差し出した。
少佐はそれを『汚い物』を見るかのような目で凝視する。顎で『そこに置け』と指示しただけだ。大尉は机に置いて定位置に戻る。
「軍の支給品で、なぁにぃをヤってるんだ!」
「申し訳ございません」
少し冷静になった少佐が椅子に座る。朱美は下を向いたままだ。
少佐は朱美のスマホを、無言で初期化した。




