恋路の果てに(三十五)
本館の廊下をグルグル回った後に、行列は二人の立番が警護する扉の前で立ち止まった。
そこは敬礼だけして扉を潜り抜ける。朱美もその後に続く。朱美もそこで初めて『人の気配』というものを感じる。
それは『来たか』と言うものから、朱美と同じくらいの女性だろうか。『何? 何?』と、困惑する感じ。
それに加えて、椅子を『ガタン』と言わせたようだ。その後に聞こえて来たのは、『ドサッ』と書類が落ちる音。
行列の先頭を行く男がそんな様子を心配することもなく、どんどん先へと歩いて行く。当然朱美もその後に続くしかない。
すると行列の前に、一人の士官が立ち塞がった。後ろには重厚そうな扉がある。そこで行列は停止する。
行列の先頭を歩いていた男が、士官に敬礼して報告を始める。
「協力者を連れて参りました!」
「判った。そこで待て」
言われた士官は振り返ると、扉をノックした。
『どうぞ』
中から声がする。朱美にはその声の主が判った。思わず目を瞑ったが、あまり意味がなかった。まだ暗いからだ。
その間にも士官は扉を開けて、部隊長室へ入ったようだ。
「協力者を連れて来ました」
どうやら扉を開けたまま、話をしているようだ。良く聞こえる。
「そうか。中へ通して」
今度は石井少佐の声とハッキリ判った。きっと手招きをしているのだろう。先頭の男の足元が見えなくなる。と、同時に、後ろから小突かれて朱美は歩き出す。
朱美は思う。どうやら『一番怖い部屋』に連れて来られてしまったようだ、と。
その部屋がどれくらい広いのか、まだ良く判らない。いや、一生判らないのかもしれない。
朱美は一生懸命考えようとしていたが、まとまる訳もない。
下は絨毯が敷いてあるからか、あの『カッカッ』という音は聞こえない。そう思っていると『ガタッ』と鈍い音がする。
どうやら少佐は、まだ座っていたようだ。今の音は少佐が立ち上がった椅子の音だろう。
「君ぃ、これは何だねっ!」
少し驚いた感じの少佐の声。それは朱美が先ず聞きたいことだ。しかし朱美には、少佐の言い方が『とても意外』にも感じられた。
急いで少佐が歩いて来る音がする。しかし、それはあらぬ方向に向かっている。
いや、多分机の前にでも立たされたのだろう。そして少佐は、その机を回り込んでいるのだ。随分大きな机のようだ。
「驚いただろう? 済まなかったねぇ」
凄く優しい声が、今度は耳元で聞こえる。しかし朱美は、頷くことも首を振ることもできない。
すると頭の方で、何かを引っ張る感じがあって『パッ』と目に前が明るくなった。それと同時に、髪が少し摩擦で引っ張られて、一緒に上にあがる。
急に眩しくなって朱美は目を瞑り、顔をしかめる。前髪が顔に掛かって鬱陶しいが、何もできない。
ゆっくりと目を開けると、そこに居たのはやはり石井少佐だ。
「元気にしてたかなぁ?」
まるで『久し振りに会った地元のおじさん』のようだ。
目は垂れ下がり、首を少し曲げた優しい笑顔。
それに、声はいつもより高く、まるで朱美を『いつまで経っても子供』の扱いで、語尾もやさしーく上がっている。
しかし、朱美の様子は『この人誰』とでも見るような、恐怖に満ちた顔である。髪が乱れても、目を見開いてそのままだ。
少佐はそんな朱美を見て、少し心配そうな顔をした。そして、『何があったんだろう』と言う感じで、朱美の後ろに回り込む。
「おいっ! 何てことをしているんだ! 同郷の有志だぞ!」
急に少佐は怒りを露わにして怒りを爆発させる。
朱美は真っ直ぐ前を見ていて、その表情は見ていなかった。もしも見ていたら、きっと失禁していたに違いない。
朱美の前に再び現れた少佐は、また『地元のおじさん』の顔に戻っている。まるで『俳優』のように、ころころその表情を変えられるようだ。
「直ぐに外してあげるからねっ」
優しい声で朱美に言い『心配するな』という感じで肩を『ポンポン』と叩いた。朱美は思わず頷くと、それに少佐も笑顔で返す。
「早く外せと言っているんだっ!」
朱美は少しちびった。




