恋路の果てに(三十二)
朱美は両手を挙げて、その場で待機する。
両手はハーフボックスの天井にくっついてしまっているが、それ以上挙げろとは言われていない。
何をそんなに警戒しているのか。朱美にはサッパリ判らない。格闘技はおろか、新体操さえしたことがない。
正真正銘、『只の非力な女の子』である。
そんな朱美にも、これだけは判る。今、急な動作をしたり、騒いだりしたら、絶対に撃たれてしまうことが。
兵士の目が怖い。これは本気だ。
確かに朱美の感じた通り、守衛の兵士二人は、遠慮なく撃つ気満々だった。それは、施設を守るためであり、仲間や自分の身を守るためでもある。実際、過去に『痛い教訓』もあった。
だから、銃の安全装置を外し、トリガーに指を掛け、狙いをどてっぱらに定めている。
ハーフボックスの被害とか考えていない。軽く水平に振りながら、全弾ぶち込むつもりだ。
「降りろ! そのまま、ゆっくりだ!」
『判っている! いちいち叫ぶな!』
肝の座っている軍人なら、そんなセリフも吐くかもしれないが、今の朱美に、そんな気概はない。むしろ本当に吐きそうだ。
もう、全部諦めた。『人生終わった』の心境である。
手を挙げたまま、ゆっくりとハーフボックスの出入り口へ向かう。こんなにハーフボックスの出口は、遠かっただろうか。
手も頭も天井にゴツゴツと当てながら、朱美はゆっくりと出口に向かう。転ばないように慎重にだ。
もしここでコケたとしたら、それはそれで撃たれてしまうだろう。
朱美がゆっくりとエレベータホールに着地した。すると完全武装の兵士二名は、ゆっくりと後ろに下がる。
本当に、何を警戒しているのだろう。
そう思っていると、作業着を着た男が一人、朱美の傍にやってきた。手に何かを持っている。
朱美の前に立つと、質問を始めた。
「山崎朱美だな」
「はい」
聞かれて、咄嗟に返事をした。恐怖の余り、声は小さかったが。
「もっと! おぉきな声でっ!」
後ろの兵士の一人が、銃を上に揺らして叫ぶ。
「は・い・!」
朱美は全力で叫んだ。危うく返事の仕方で、撃たれる所だった。
「貴様を、今からこの『高電圧手錠』で拘束する!」
そう言って男は、手に持った『物』を朱美に見せる。
「は・い・!」
出た。もう、見た目にも『ヤバイ物』だ。絶対に『おもちゃ』ではない。明らかに『軍用』だ。だって、迷彩柄だし。
「逃げようとしたら、百万ボルトの電気が流れる!」
男は朱美がグッと朱美の顎に、それを当てた。きっとリモコンで、ビリビリっと来るのだろう。そんなのは御免だ。
朱美は下目に、自分の顎の方を確認する。少し喋り辛い。
「は・い・!」
それでも大きな声で返事をするしかない。すると、ちゃんと返事したのに、男の顔が一層険しくなった。
「妙な動きをしたら、俺ごと撃ち抜かれるからな! 判ったか!」
「は・い・!」
どうやら男が『薄着の作業着一枚』なのは、『捨て駒』だから、のようだ。悲しいかな。男の目がそう語っている。
「ゆっくり、両手を後ろに回せ! いいか! ゆっくりだぞ!」
それでも今の朱美には、その『捨て駒』の男だって、銃を構えている二人の兵士と同じく、恐怖の対象でしかない。
映画のヒロインだったら、ここでピョンと飛んでハーフボックスの上に飛び乗ったり、『捨て駒』の男からナイフを取り上げて、人質にしたりして、ピンチを切り抜けるのかも知れない。
しかし、朱美は指示通り真っ直ぐ伸ばした手を、二人の兵士に手に平を見せながら、ゆっくりと降ろして行くことしか出来ない。
その間に『捨て駒』の男は、油断なく朱美を睨み付けながら、朱美の後ろに回る。
映画のヒロインだったら、ここで『捨て駒』の男が朱美のお尻に手を出して、以下略。
一ミリの隙もなく、『ガチャン』と音がして、朱美の両手は後手に固定された。『捨て駒』の溜息が、朱美の背中に感じられる。
朱美は、改めて周りを見渡す。ここは何処だろう。コンクリート打ちっぱなしの、殺風景な場所。もう終わりだ。諦めて目を閉じる。
「キョロキョロするな! さっさと歩け!」
よそ見も許されない。朱美は泣くのも忘れて素直に一歩を踏み出したのだが、それは、一体何処へ向かっているのか、判る筈もない。




