恋路の果てに(二十七)
「最近はX線の検査を『省略』しているのかね?」
少佐が課長に優しく問う。規定通り仕事をしている課長にとって、それは無理難題な質問に違いない。
「とんでもございません。『規定通り』実施しております」
課長の額から脂汗が出始めるが、それを拭く余裕もない。
「肝心な物が、無いじゃないか!」
大きな声を出して課長を叱責したのは、今まで黙って『番犬』の仕事をしていた井学大尉である。
そしてその声に驚いたのは、何故か少佐である。
しかし表情を変えたのは、一秒にも満たないほんの僅かな時間であり、課長から見た少佐の表情は『優しい笑顔』のままだ。
「そんなに大きな声を、出すものじゃないよ?」
そう言って、むしろ大尉の方を咎めた。大尉は直ぐに敬礼をして、反省の意を示す。
そうしてもう一度、少佐は首を傾げつつ、優しく課長に問う。
「私が発見した『郵便物』がココに無いのだが?」
そう言って机を、人差し指でトントンと叩く。それを見て、咄嗟に課長は理解した。
『押収した郵便物で事故が起きた。誰のせい?』
つまり部隊長は、こう言っているのだと。
「どのような『郵便物』でしょうか?」
恐る恐る課長は少佐に尋ねる。
「茶封筒だっ!」
大きな声で答えたのは大尉だ。少佐は頷く係に就任している。
課長の顔が曇った。最悪だ。言い逃れできないではないか。
封書の郵便物の内容物を確認するために『X線検査』を行っていると言うのに、その『封書』が、検査をされることなくココをすり抜けた。最悪だ最悪だ。
そして、よりによって、部隊長の大事な大事な部下の誰かを、きっと部隊長の目の前で傷付けたのだ。最悪だ最悪だ最悪だ。
今、部隊長は、『いつもの笑顔』で、責任者たる、課長の私を、御覧になって、あらせられる、のでありまする。もう、ガビーンだ。
課長は大きく息を吸って目を瞑る。切るなら今切って欲しい。
しかし少佐のサーベルは、切ると言うより、刺すものだった。課長の願いは届かない。
「有るのかね? 無いのかね?」
そう言われても困る。課長は『どうしてでしょうね』と首を横に傾げてアピールしているが、そんな行為は少佐の目には、全然入っていない。今入っているのは最後の郵便物『今年の年賀状』である。
大尉がその画像を見て『ピン』と来る。年賀状を指さして課長に問い正した。
「大湊基地からの郵便物だ! 消印があったぞ!」
強い調子だ。まるで『思い出すなら、早い方が良いぞ?』そう言いたげに聞こえなくもないが、実際その通りでもある。
何せ『お怒りになった少佐は止められない』それを大尉は、良く知っている。
だから大尉が大きな声で叱責しているのは、一種の優しさなのだ。
すると、その優しさを感じ取ったのか、それとも救われた想いになったのか、課長の表情が明るくなった。
「軍の施設間、関係者の郵便物は、X線検査を省略しております」
生き延びた想いであろう。一気に言って、安堵の表情を見せる。
「それは『規則』なのかね?」
「はい。『規則』でそうなっております」
笑顔の少佐に、課長は揉み手で答える。
「関係者と、何故判ったのかね?」
「軍の関係者は『記念切手』を使いますので」
郵政省から『売れ残りの記念切手』を、軍が安く買っている。
「誰が決めた規則なのかね?」
「それは『部隊長』がお決めになった『規則』でございます」
相変わらず笑顔の少佐に、課長の揉み手は加速する。
しかし少佐からは、笑顔が消えた。少し考えて、もう一度訪ねる。
「それは『前の部隊長』なのでは、ないのかね?」
「申し訳ございませんが、そこまでは判りかねます」
ハッとした課長が、深々と頭を下げた。少佐の顔に笑顔が戻る。
「判った。ご苦労」
少佐はスッと立ち上がり『カッカッ』と歩き出す。しかし、パッと止まって振り返り、課長に『満面の笑み』で指示する。
「年賀状は『切手』がないだろう? 『X線検査』は省略したまえ」
この日、当代部隊長より『新しい規則』が一つ、追加になった。




