恋路の果てに(二十六)
石井少佐が向かうのは課長席だ。当然のように座る。そして席を取られた課長は、席の向こう正面で少佐の前に立つ。
「ここ一週間分の『X線検査』の結果が見たい」
多分、目の前にあるパソコンで閲覧できるのだろうが、それを少佐が操作する様子はない。にこにこ笑っているだけだ。
それどころか、通信課の職員が慌て始める。
何しろ、部隊長が直々にやって来て、一週間分もの『検査結果を見せろ』と言い出したのだ。どれだけあると思っているのだ。
これは絶対に、何処かで問題が発生したに違いない。
各々頭の中で、何が起きたのか予想する。『機密漏洩』『危険物持込』はたまた『裏切行為』か。
『じっと胸に手をあてれば、何か思い当たるものだ』
この言葉は、少佐がずっと言って来たものだ。確かに、実際にそうだったし。皆、良く知っている。
言われた人がその後どうなったか。それは良く知らないが。
「直ぐにお出しします」
そう言って課長は、かつての自席へ向かう。そこには『番犬』の井学大尉が睨みを利かせているが、そこは目配せして通して貰う。
井学大尉も『お使い』で通信課に来たことはある。その時の課長と今の課長は、多分同一人物なのだろうが、比べるべくもない。
少佐にも軽く会釈して、キーボードとマウスを引き寄せて、パソコンを復帰する。ゲームは既に終了済だ。バレてはいない。
「こちらが、検査結果の映像でございます」
そう言ってマウスを少佐の方に寄せようとするが、少佐は頷くだけで自分で操作するつもりもないようだ。
困った課長は井学大尉の方を見たが、井学大尉も頷くだけで『番犬の仕事』を継続中である。
課長は訳も判らず『カチカチ』と、少佐が何か言うまでマウス操作を繰り返すしかないのか。
通信課では『作業しても良いのかしら?』という雰囲気が、漂い始めていた。そっと顔を見合わせる。
あからさまな『迷惑顔』も出来ず、音を立てないように自分の席へ、ゆっくりと向かう。その途中で、皆考えている。
確かに部隊長は『仕事中に悪いね』と言って入って来た。だからきっと今は『悪いこと』を、しているに違いない。
と言うことは、だ。仕事をしても、良いのではないか?
課長は判っている。『いつまでやるのですか?』と聞けば、必ず『私が良いと言うまでだ』と、言われることを。
だから、自分の胸に手をあてて『実は部隊長は、私に御用があるのではないか?』と、思い始める。
「人払いをした方が、宜しいでしょうか?」
そう言って課長は少佐の顔を覗き込む。すると、少佐の目が光った。まるで『やっと判ったか』とでも言うかのように。
「すまんね」
「みんな、暫く席を外してくれ」
少佐が答えたのと、課長が呼び掛けたのは、ほぼ同時だった。すると一斉に職員が立ち上がる。
みんな口には出さないが、思っているのは一緒だ。
『あぁ、確かに、仕事中に悪いや』
一礼して通信課の部屋を出て行く。行先はトイレか喫煙所か。
残ったのは三人だけだ。少佐と、大尉と、可哀そうな課長。
課長は『先ずは謝った方が良いかしら』と思い、頭を下げた。
「協力者の『教授』に届いた分を見たい」
途端に課長の顔色が明るくなる。謝る必要はなかったようだ。
課長は頷いて、厳重に管理された『協力者分』の検査結果を開く。どうやら別管理だったようだ。
その中から『山崎朱美』の分を開いた。流石通信課の課長。コードネームと本名の関連について、メモを見なくても判るらしい。
「こちらでございます」
そう言いながら、課長は画像をゆっくりと『カチカチ』していく。しかし、映し出されて行くのは『年賀はがき』と『暑中お見舞い』だけだ。『一週間分』というのは、この際目を瞑ろう。
実は朱美も知らないことなのだが『協力者分』はハガキもX線スキャンされている。切手の下にあるマイクロチップを探す為だ。
「以上でございます」
課長は少佐の顔がみるみる曇って行くのを、ただ眺めるしかない。
意味も解らず、恐怖に震えながら。




