恋路の果てに(二十五)
少佐達は通信課にやって来た。ノックもせず扉を開けるが、職員に驚く様子はない。全員整列して敬礼しているだけだ。
どうしてそうなっているのか。少し時間を遡って説明が必要だ。
石井少佐と井学大尉は、自部隊の通信課に向かっていた。
ハーフボックスを降りた所にあるのが、部隊の受付である。そこから先は全て徒歩だ。
健康なら歩きましょう。という訳ではなく『中身が見えない物は通過させない』という、セキュリティー上の理由だ。
もちろんハーフボックスに乗った時点で『自部隊に向かう許可』は出ている。
だから『日本国籍保有者入り口』『官公地入り口』『軍用地入り口』『防疫給水部本部入り口』をハーフボックスに乗ったまま『通過』できた訳だ。
この先は『例え部隊長』であっても徒歩。それは、石井少佐本人が決めたことだから、仕方がない。
それでも石井少佐が受付に並ぶことはない。
エレベーターホールを『カッカッ』と歩く音は、とても特徴的なのか、受付係が仕事を中断して起立し、敬礼をしている。
それに石井少佐が返礼し、『続けたまえ』を目で合図しても、仕事に戻る気配はない。
何故なら受付に並んでいる者も、全員敬礼をしているからだ。
石井少佐の姿がホールから消え、『カッカッ』という足音が消える頃、何事もなかったように、人々が動き出す。
みんな本当は『部隊長はハーフボックスに乗って通過してくれ』と、思っているのかもしれない。
口に出す者がいるとはとても思えない雰囲気が、ここ『防疫給水部本部』に漂っているのだ。
「少佐、ハーフボックスでお部屋まで行けるようにしませんか?」
そんなことを言う輩が一人いた。それはもちろん井学大尉だ。
井学大尉も石井少佐と一緒であれば、受付は敬礼に見守られて通過する。カバン持ち故の特権とも言えるのだが。
「何事にも『限度』とか『節度』というものが、あるのだよ」
そう言って笑う。似合わない笑顔だ。
廊下を歩いている間もすれ違う部隊員は進行を譲り、敬礼をして一時停止する。
窓を拭いたり、廊下を掃除をしている者はいない。
受付が石井少佐を確認した時点で『非常ブザー』を鳴らし、全館に合図をしている。すると『部外者に見えなくもない者』は、一斉に退避するのだ。
そして、建物の要所要所に『簡易ゲート』があるのだが、それが全て閉じられる。
それまでは、衛兵が立ってはいるものの、首から下げた身分証の有無を遠目に確認するだけ。ゲートも開きっぱなしで、自由に通過している。
しかし、部隊長が来たらそうは行かない。
各自が身分証の状態を確認し『裏返し』になっていれば、表にひっくり返す。
「ご苦労様です。御用の向きはどちらでしょうか」
「ご苦労。通信課だ。ちょっと邪魔するよ」
「はっ」
衛兵の中で、石井少佐と面識のある者がいれば、行先を聞くことがある。するとその者が行先に急いで電話する。
『あー、通信課? そっちにさぁ、今、少佐行くからぁ』
『そうなのぉ。何かしらぁ。りょうかーい』
なんて会話がされる訳ではない。
部隊長が来館した時点で、全ての電話が保留になる。そして全員が耳を澄まし、電話のベルが鳴るか凝視しているのだ。
電話のベルが一回鳴って切れた場所に、石井少佐が現れる。
今頃、通信課の代表電話が『ジリン!』と鳴って切れた頃だ。
『大変だ! 部隊長が来るぞ! 整理整頓! 整列!」
通信課長が立ち上がって叫ぶ。そして腕を伸ばし、職員を指しながら指示を出し、入り口に向かって歩き出す。
職員は郵便物のチェックを一時中断。仕分け途中で散らばっている郵便物は、全て元の箱に戻され、開けっ放しの箱は蓋を閉じ、角を揃えてピッタリと並べる。
発送の申し込みで受付に来訪していた職員は『あちゃー』な顔をして、全て退散だ。雲の子を散らすように、誰も居なくなった。
部屋の片づけが終わる頃、部隊長の『カッカッ』という足音が聞こえて来る。大急ぎで通信課の職員が整列。互いの身だしなみを確認し、気を付けの姿勢になったのを見て課長は扉をそっと開ける。
「ご苦労様です!」
「仕事中に悪いね」
少佐達は通信課にやって来た。ノックもせず扉を開けたのは、そういうことなのだ。




