恋路の果てに(二十一)
朱美は再び一人になった部屋で、頭を抱えている。
今日も徹に『告白』出来なかった。それは『愛している』という言葉ではない。それはもう、何度も何度も言った。
自分が『軍のスパイ』であると言うことだ。
脅されて無理やりだったとしても、それは徹には関係のないこと。今までのことが全て崩壊しても、おかしくはない。
徹の勤め先には『私のことは内緒にして』とお願いしておいたが、弓原家にご挨拶には伺った。ここまでは順調だ。
お義父さまは、流石に内偵対象者。寡黙な人で隙がなかった。軍が調査にてこずるのも判る。
逆にお義母様はおしゃべり好きで、天然の明るいキャラ。それに、優しそうな人で良かった。仲良くやれそうだ。
きっとお義父さまは、あのお義母さまに『仕事の話』はしないのだろう。うん。何か判る。
義妹の楓は、とっても可愛い子。
あぁ結婚式に、絶対、石井少佐も来るだろう。
顔を売るためだ。笑顔で歩き回る姿が想像できる。写真にも写り込んで来るだろう。
嫌だなぁ。来るにしても『もっと偉い人』を呼んで、大人しくしていて欲しい。
その前に、図々しく『仲人やってやる』とか、言いそうだし。
あぁ。どうしよう。困ったわぁ。
結婚を機に『引退』する方法は、ないものかしら?
それは出来ない相談なのよねぇ。
このまま『宙ぶらりん』の人生を歩むのだろうか。
幸せな結婚生活を送っている中で、突然鳴る電話に怯えたり、突然の手紙に怯えたり、喫茶店で伝票を置かれて怯えたり。
これからもずっと、ずっと、ずっと。
整えた髪を掻きむしって、朱美は立ち上がった。
会社に行って、先ずは色々お願いして回ろう。それしかない。しかし、頼りになりそうな人、思い浮かぶ顔は二人しかいない。
朱美は考えながらも、忘れ物がないか確認しつつ部屋を出る。
廊下を歩いて階段に向かう。
エレーベータは無視。怖くて乗れない。だって『何処へ連れて行かれるか判らない』ではないか。
思い付いた一人は『本部長本部長』ハッカー名・エンペラーペンギン。誰の意見にも『YES』と肯定しておいて、まるで聞いていないのが特徴。
社内切ってのやり手で、凄腕の回路設計者。流石、平社員のときから『本部長』と呼ばれていただけのことはある。
彼の設計したチップを光にかざすと『本吉』と表示されると言う。一体、何の意味が? そんなの本当かしら。
他にも色んな伝説があり、数え上げたら切りがない。正に『伝説の回路設計者』にして、ハッカー集団のトップ。
忙しそうだけど、パスワードは知っている。後でログインして、スケジュールに面会を割り込んで置こう。
もう一人は、常に暇そうな『高田部長』ハッカー名・イーグル。誰の意見も聞かないが、本部長本部長の言うことだけは、何故か絶対に聞くYESマン。
人呼んで『本部長のイソギンチャク』だ。
あんなふざけた言動なのに、彼は『自動警備一五型』の生みの親にして、薄荷飴の実質上の『リーダー』。人は見かけ通りに、ふざけたものだ。
そもそも、何が『本業』なのか不明だ。
普段は新聞を読みながら『鼻くそ』を、琴坂課長の背中に飛ばしているだけ。全くの謎だ。
そう言えば、『趣味は仲人』って言ってた。
ど・う・い・う・こ・と?
朱美は、色々考えながらフロントにやってきた。そこにいたフロント係の住吉が急に笑顔になった。その顔でペコリとお辞儀をする。
「お疲れ様でした。お嬢様」
「ちょっと。住吉、言い方!」
二人は笑顔で挨拶を交わす。朱美は住吉に声を掛ける。
「今夜から『ねずみ狩り』なんでしょ?」
首を傾げているが、確定事項として聞く。一応の確認だ。
「はい。そうですね。私もお昼であがります」
そう言って『上』を二回指さした。『上の上』つまり『三階』ということだろう。
「大丈夫なの?」
心配して朱美が念を押す。
「はい。ちゃんと『地上フロア』に避難します」
「そう。良かった。そっちね」
三階ではなく人工地盤の方だった。ならば安心だ。
朱美は住吉に手を振り裏口へ向かう。
そこで、運転手が頭を下げて開けたドアから車に乗り込むと、ホテル『ラストチャンス』を後にした。




