恋路の果てに(十一)
徹も『池袋行き』は諦めて、シャワーに向かう。暫くするとそこへ、服を着た朱美がやってきた。
どうやら朱美は『会社へ行く服』を、別に用意していたらしい。やはりあの服は、そう言う服だったのだろう。
会社へ向かおうとする朱美の姿を見て、徹は思い出す。
「ねぇ。手紙、届いた?」
大湊基地から送った手紙。無事に届いたのだろうか。
「何のこと?」
朱美が平然と答えた。それを聞いた徹は、思わずシャワーカーテンから顔を覗かせる。
「え? 届いてないの?」
飛ばすのは石鹸の泡と、シャワーのお湯と、それと驚きの言葉だ。
「ちょっと、濡れるじゃない!」
朱美は飛び跳ねる。手に持っていたのは、朱美が持参したと思われるアメニティグッズだ。道理で良い匂いがした訳だ。
「ごめん。ごめん」
徹はシャワーカーテンの向こうに隠れる。
「手紙なんて送ったの?」
スカートの裾を気にしながら、朱美が聞いてきた。
「うん! 茶封筒の奴!」
徹はシャワーを浴びたまま答える。それにしても、いい加減届いていると思うのだが。
「ねぇ。年賀状と暑中見舞いしか送っちゃダメって、言ったよね?」
朱美が声を荒げている。怒っているのはそっちだったみたいだ。
忘れた訳ではない。確かに『約束』を破ったのは済まなかった。
住所を聞いたとき『変な住所だなぁ』と思った。しかし『東京都とだけ書いておけば、あとは郵便番号で届くから』と言われ、それで覚えた住所だった。
「うん。ごめん。もうしないよ」
シャワーを止めて、うな垂れる。声も小さい。
手紙の一つも許されないとは。どういう住環境なんだ。『会社の女子寮』って、そんなに厳しいものなの?
まぁ良い。結婚して一緒に住めば、手紙くらい何通だって書いてやる。それまでの辛抱だ。
「何て書いたの? 聞くだけ聞いてあげるぅ」
朱美の機嫌が直ったようだ。徹は再びシャワーカーテンを開ける。すると、目の前にバスタオルが飛んで来た。
「ありがとう」
礼を言って徹は顔を拭き始めたが、多分それは、さっきまで床に落ちていた奴だ。
「薬を送ったんだ。どんな薬か、調べてもらおうかと思って」
「そぉんなのぉ、自分で調べれば良いのにぃ」
朱美は呆れた口調で言う。このご時世、薬の種類なんて『メーカー名』『形状』『刻印』などで、ある程度調べられる。
そう言いたいのだろう。それは徹にも判る。
「何かの『特効薬』らしいよ?」
しかし、それを調べて欲しかったのだ。
何しろ自分のスマホは、潜水艦に持ち込めなかった。それに研究所のパソコンから、勝手に『業務外』の情報にアクセスする訳にも行かない。全部ログが残っているのだから。
「粉末? 錠剤?」
それでも朱美は、流石は薬屋さん。一応聞いてくれた。
「錠剤だね」
体を拭きながら朱美の後を追う。バスルームを出た。朱美がバックからスマホを取り出して、振り返る。笑顔はなく真顔だ。
「大きさは? 形は? 色は? 刻印は? 裏のシートは何て?」
薬の名前を聞かなかったのは温情だろう。それでも徹は慌て出す。一体どんな薬だったのか。
普通の薬だった気もするし、変わった薬だった気もする。
しかし、はたと気が付く。健康体の徹は、不幸にも普段から薬のお世話には、なっていなかったのだ。
いやいや、そこは不幸ではなく、幸福だろう。
何も答えない徹を見て、朱美は口をへの字曲げ、スマホをバックに放り投げてしまった。どうやら薬の件は、ここまでのようだ。朱美の目がそう言っている。
確かに現物がなくて、説明もあやふや。これでは『本当にそんな薬があったことさえ疑わしい』ではないか。
しかし現地にいた徹には、確証があった。
何故『そこにいたのか』『誰から貰ったのか』『どんな話をしたのか』いずれも朱美には、説明できないことだけれど。
それを朱美に説明するのは、危険過ぎる。そう思っていた。
同封した『薬』は、きっと『雨にうたれたら溶ける』の鍵になるはずなのに。しかし残念ながら、その『薬』は同封した手紙と共に、別の世界へでも行ってしまったようだ。




