恋路の果てに(八)
背中に温もりを感じて、朱美は上を見る。徹も窓辺に来ていた。
徹は朱美が手にしていたペットボトルを奪い取ると、そのまま口にする。
取られた朱美は、仕方ない素振りで微笑んで、一口飲んだ徹の唇を奪う。
朱美は手を上に上げようとしたが、ぎゅっと抱き付かれて動けない。諦めて目を瞑り、そのまま逆に唇を奪われる形となって、窓辺に押し返された。カーテンが揺れている。
徹が腕を緩めるのが判ると、朱美は目を開けた。カーテンが気になって振り返る。
少し開いてしまったカーテンを閉めようと手を掛けたのだが、徹が邪魔をして引っ張れない。
「何が見えるの?」
そう言って覗き込む。朱美は下の方だけを引っ張って隠す。二人で覗き込む外の世界は、暗い廃墟の街並みが広がっている。
きっと壊れたら、直す人が居ないのだろう。街灯が所々にあって、この辺だけは割と明るいようだ。
「徹は『アンダーグラウンド』って、初めて?」
「うん。こうなっているんだねぇ」
普通の人は用事がない。見渡す限りの台地が、実は人工地盤だなんて、普段の生活では気にしていないからだ。
「ここはね、昔、軍の施設があった所なんですって」
隙間から見える外の世界について、朱美が説明してくれた。
「へぇ。そうなんだぁ」
さっきまで軍人だった徹の方が、知らなかったとは。朱美はもう一度徹の方を見ると、水を奪い取る。そして、カーテンを抑えたままペットボトルを口にした。
「朱美は、軍の関係者なの?」
「ゲホッ! グフォ!」
朱美が急に咳き込んだ。徹が心配そうに覗き込むが、朱美は徹の手を払いのけ、窓際のテーブルに水を置く。
ついでにカーテンを『シャッ』と閉める。上手く行った。
そして、そのまま窓から離れる様に歩き始める。
「そう見える?」
振り返った朱美が、バスタオルを床に落とす。薄明りに照らされた朱美の全身が、徹の目に焼き付けられた。
「ううん。全然!」
徹は直ぐに否定した。この『あわてんぼうさん』めっ。
朱美はホッとするが、それを顔には出さない。寧ろ『何でそんなこと言った?』とでも問うように、半笑いと半睨みの表情を造り、下から徹を覗き込みながら歩く。
そんな表情を見て『済まない』と思ったのだろう。徹は窓から離れて朱美に歩み寄る。朱美に逃げる様子はない。
そのまま追い付いて、再び抱きしめる。
「こんな美人の軍人さんなんて、絶対居ないよ」
左右に揺らしながら口にしたその言葉は、誉め言葉なのか、それとも軍人差別なのか。
徹は髪を揺らす朱美の瞳を見つめながら語った。そんな徹の目を真っ直ぐに見返していた朱美が、直ぐに笑顔になる。
確かに、どこぞの平行世界ならいざ知らず、潜水艦乗りは『男』と相場が決まっているものだ。徹が知らないのも無理はない。
「じゃぁ、何に見えるの?」
朱美に確認されて、徹は困る。ここは素直に『薬屋さん』とでも言えば良いのだろうか。それとも別の何か『変わった職業』を言えば、喜んでくれるのだろうか。
「んー」
上を向きしばし考える。朱美は焦らされていると感じて目で迫る。
「ねぇ。なーに?」
問い詰めると、徹は『ピン』と来たのか、頷いた。
「スパイだっ! 朱美はスパイが似合うよ!」
「違うからっ!」
朱美は急いで徹をベッドに押し倒す。表情は笑顔のままだ。徹は朱美の表情を見て、一緒に倒れ込んだ。
二人はベッドの上でバウンドし、そこで再び見つめ合う。スパイの話は、それでおしまいだ。
「ねぇ。池袋に行かない?」
「ええっ! 今から?」
朱美は驚いて思わず時計を見る。時間はまだ、あるようだ。




