恋路の果てに(五)
「もしもし?」
赤電話の受話器を取り、定型句を言う。電話で『もしもし』と言わなくなって久しいが、何故かその言葉は覚えている。
『どちら様ですか?』
電話を掛けて来た主の言葉とは思えない。それはこちらが聞きたいことだ。徹は思わず受話器を顔から離して、じっと眺める。
すると受話器から、今度は大きな声がする。
『もしもし! 田端タバコ店さんですかぁ?』
受話器を揺らすその言葉は、まるで早口言葉のようだが、列記とした問い合わせである。
徹は一歩下がって、店の看板を覗き見た。そこにはブリキの古い看板があって、しっかりと『田端タバコ店』と書いてある。
口をへの字にして、受話器を再び定位置に戻した。
「はい。そうです」
そう答えたものの、どうして自分が中継しなければならないのか。全く意味不明である。
『よかったぁ。じゃぁ、『若葉』をワンカートン、『ホープ缶』を二つ、そうねぇ。あと『ハイライト』をワンカートンお願い。あぁ、いつものオマケ、『マッチ』も忘れずによろしくねっ』
女性の高い声。飲み屋のママさん? いや、それより何処の飲み屋だよ。しかも、いつの時代だよ。
徹は顔をしかめた。受話器の相手に説明をする。
「あのぅ。お店のシャッターは閉まっているのですが?」
『あれ? お店の人じゃないの?』
向うは非常に驚いている様子ではあるが、それはお互い様だ。
「違います。通りすがりです」
思わず手を横に振りながら答える徹。
『なぁんで、通りすがりの人が、受話器を取ってるのぉよぉ』
「すいません。何か、何となくで」
責め立てられ、思わず謝ってしまった。てっきり『朱美からの電話だ』と、徹の第六感が言っていたのだが、全然違ったようだ。
『役に立たないわねぇ。まぁ良いや。じゃぁ、今言った奴、その辺で買って来て。お金は払うから。現金あるでしょ?』
電話の相手は、徹が謝ったのを良いことに、図々しくもつけ込んで来たようだ。タバコが手に入れば良いのだろう。
「えー、現金なんてないです。それにお店もないですよぉ」
現金なんて久しく使っていない。それに周りは『廃墟』だらけに見える。何なんだココは? 何なんだこの電話は?
『良いから良いから』
「だから、良くないですってぇ」
素直に断って電話を切れば良いのに、徹は人が良いのか何とか納得してもらおうと必死だ。
しかし電話の相手は、そんな徹の説明すら聞く様子もなく、とにかく『買って来い』と押し付けるばかりだ。
『良い? 買ったら、そこから一本入った所にある『ラストチャンス』まで持って来てねぇ。早くねぇ(がちゃ)』
一方的に電話が切れて、徹はポカーンとしてしまった。
しかし女性が言った『ラストチャンス』には、当然『聞き覚え』がある。徹は受話器を放り投げる様に置く。ガチャンと音がした。社会人の新人研修なら、講師に酷く怒られるだろう。
しかし、電話のマナーは、相手の方が酷かった。構うものか。
それより『一本入った所』と言うのが、どんな意味か判らない。
多分『道路』のことを言うのだろうが、それを『一本』『二本』と数えるのかは、定かでない。
何しろ今は、ハーフボックスに乗ってしまえば、迷わず目的地に着いてしまうのだから。
徹は念のため三本目まで通りを渡り、『ラストチャンス』を探し続けた。しかし、見つからないではないか。
しかし、諦める訳には行かない。
タバコ屋を探すつもりは更々ない。
そもそもタバコ喫まない徹は、銘柄なんて覚えてはいられないのだ。先輩から『キャビン買ってきて』と言われたとき程、意味不明なお使いはない。
だから『田端タバコ店』も目印でしかない。今度は反対方向に走り出したとき、遠くのビルに小さな明かりを見つけた。
「あった!」
徹は叫ぶと同時に『ラストチャンス』へ、猛ダッシュを開始した。




