恋路の果てに(三)
手帳に列記された暗号。その中に該当する数字『731』がない。徹は何度も手帳を捲る。一枚一枚、ゆっくりと。
もしかして二枚同時に捲ってしまったのか? と、思ったのであるが、そうではない。そう言い切れる。
何故なら、机上スタンドの明かりに透かし、確かに一枚であることを確認したからだ。一体、どういうことだろう。
朱美は何故か、非常に用心深い。
最初に出会ったときから、それは感じていた。しかもそれを『単に奥手』として片付けるのには、凄く無理があるとも思う。
次に逢う日時と場所の約束は、必ず対面だった。
それは良しとして、その後がちょっと違う。まぁ、他の女性と比べる術はないのだが。絶対に違うとは断言できる。
それは『三回先まで』日時と場所を決めたら、一切変更不可というルールだった。笑って聞き返したのだが、真顔で同じことを言われただけ。今では懐かしい思い出だ。
それで約束の日時に、指定の場所に行けなかったらどうなるか。どうもこうもない。次回に持ち越し。それだけだ。
もちろん、次回合う『三回先まで』の約束も、して貰えない。
それでもし『三回ともキャンセル』の場合を確認すると『この関係は、そこまでのこと』と、素敵な笑顔で言われてしまった。
でもその後、直ぐに真剣な顔になると『絶対来て欲しい』と、手をギュッと強く握られた上、何度も振り回しながら念を押された。
今思い出すと、それが最初にされた『お願い』かもしれない。
理由は何も話してはくれなかったし、逢瀬を重ねる日々の中で、こちらも約束は守り続けた。こんな約束『いつか終わる』のかと思い続けてもいたが、結局、今日までそのままだ。
だからいつも『約束の日時と場所を三回復唱』すると、朱美は屈託のない笑顔で手を振りながら、人混みに消えて行った。
徹はもう一度手帳を見た。そして思う。
この『731』は、余程重要な暗号に違いない。例えば、因数分解して出て来た数字がヒントになるとか。
あれ? 素数だ。違うようだ。いや違う。割れる。各桁の数値を足して三の倍数になると、七+三+一=十一。ならん。
えー。これ素因素分解するの? 眠いのに面倒臭い。
徹は紙と鉛筆を取り出して、計算を始めた。仕舞には、一体自分が、何故に計算をしているのか? となってしまうくらいに。
気が付くと、夜が明けていた。
と言うのは冗談で、徹は考えを変えていた。それは『自力で計算するのは止めよう』ということだ。
ジャパネットに質問分を入れれば、先人の知恵が参照できる。そう判断したのだ。
「十七×四十三だったのかぁ」
危うく本当に夜が明ける所だった。早速徹は、一応検算をして答えが『731』になることを確認すると、『017』と『043』に対応する暗号文を探す。
もう一度手帳の先頭に戻り、ページを捲り始める。
「017、017、017、あった『この手帳を』か」
その頁を左手の親指で固定しつつ、次の三桁を探し出す。それは、またまた何処にもないのかと思われたが、遂に徹は発見する。
「あった! 043は『燃やせ』えっ?」
徹は驚いて、もう一度三桁の数字を確認したが、確かに『燃やせ』だった。三回瞬きしても、結果は変わらない。
机上のスタンド、部屋の照明に透かして見ても、やはり同じ。
もしかして『情熱を燃やせ』とか前向きな言葉、はたまた『焼き芋を燃やせ』のような念押しの言葉とか、そういうのかもしれないと考えた。いや、願った。
しかしこれは、どうみても『この手帳を燃やせ』と、明確に指示する以外に、取りようがないではないか。僅かな救いは、『素因数分解するのが正解』とは、限らないことだ。しかし、徹は考える。
これは『別れの挨拶』なのではないかと。朱美の笑顔が浮かぶ。
徹は首を横に振る。それは朱美の笑顔を振り払う為じゃない。
そんなはずはない。きっとこれは、別の暗号に違いない。
徹の手は震えていた。時計を見て『時間がない』と思う。
暗号を解く時間も、三回目の約束までの時間も。




