高速貨物列車の旅(四十一)
「一体、何処で下車したのかね?」
石井少佐の質問に、佐々木車掌は答えない。それはまるで『プライバシーの保護』を考えているかのようだ。
確かに車掌が乗客の行方、それも個人情報であろうが、ペラペラと喋るのは如何なものかとも思える。
「それはですね。えーっと」
そう言って困る。顎に右手を添え、首の捻りも付け加えた。
石井少佐は答えを待つ。
しかしそれを止める。これは『考える振り』をして、時間稼ぎをしているに違いない。そう思えたからだ。
仮に築地市場に入線した時に飛び降りれば、今頃、まだその辺でウロウロしているかもしれない。
そうだ。牛丼屋で『大盛りねぎだくギョク。それとお新香。え? みそ汁は別? あっそう。じゃぁ豚汁で』なんて注文して、周りからジロジロ見られているかもしれない。
そんなに豚汁が欲しければ、自分も注文すれば良いのにだ。
その後は、漬物屋で柴漬けを味見して『良く漬かっているねぇ』『これは京都大原からのなんですよぉ。奈良漬けも如何ですか?』『いやぁ。勤務中ですから、奈良漬けはちょっと』なぁんて会話もしているに違いない。
しかし、あの奈良漬け、あれも良い感じに漬かっていたなぁ。
極めつけは卵焼き屋だ。うっかり『卵焼き一つ』なんて注文して、思ったよりでっかいのを渡されて、食べ歩きには適さないと考えて、ハフハフしながら店先で食べ始めるとか。絶対している。
まったく。店の良い宣伝ではないか。気が付かないのだろうか。
馬鹿な奴だ。直ぐにとっ捕まえてやる。
「南千住、隅田川駅で降りました」
佐々木車掌の一言で、石井少佐はズッコケた。
それ見た井学大尉が慌てている。
「南千住だと?」
「はい。一時間程前です」
時計を見て、冷静に答える佐々木車掌。別に、全然不思議なことではない。
だって、お魚を積んだ高速貨物列車は『東京行き』ではないか。もっと正確に言えば『東京都中央卸売市場行き』である。
『東京都中央卸売市場』は十一箇所ある。お魚で有名なのは『築地市場』であるが、それは十一箇所ある内の一つだ。
お魚を取り扱う市場は三つ。
一つはもちろん『築地市場』。船の航路まで設定されていて、貨物駅も併設されている、一番大きな市場である。
二つ目は『足立市場』。常磐線上り列車で右を向いていると、隅田川を渡る手前に見えて来る。そして、隅田川駅はすぐそこだ。
一度側線に入ってから後進して隅田川駅に入線した貨物列車は、ここで一部の貨車を切り離し、トラックに積み替えられてお魚を足立市場に届ける。
築地市場に向かって再び出発するまで、ボーっと待つ必要のない弓原少尉は、そこで下車したのだ。
三つめは大森市場。ここはちっちゃいので忘れがち。だから鉄道輸送は行われていない。
「女の所に行くとか、言ってなかったかね?」
「さぁねぇ。『お礼参り』とは、言っていたような?」
佐々木車掌の答えを聞いて、石井少佐の表情が変わりゆく。
何かの予想が当たったのだろう。パクパクしていた口を横に引き、満面の笑顔が終着のようだ。
目だけ笑っていないのが、ちょっと怖い。
そんな笑い方が、もう癖になっているに違いない。
多分そう思うのが普通なのかもしれないが、そのとき佐々木車掌は、別のことを考えていた。
それは『あぁ、お墓参りだったかな?』なのであるが、言い直す前に事態は動き始める。
「ありがとう。車掌さん」
「え? あぁ、はい」
「色々と、済まなかったね」
「いえいえ。お役目ご苦労様でした」
お互いに名前を忘れてしまっているのだろう。笑顔で取り繕うような挨拶を交わし、軍人二人は車掌車を出て行った。
佐々木車掌は溜息で『完全に部外者』となった二人を見送る。
塩でも撒いてやりたいくらいだ。いや、撒こう。後で。
困った顔をして、佐々木車掌は振り返る。そこにはもう一人、困った男、みっちゃんがいるからだ。
深いため息をして、佐々木車掌は苦情を言う。
「大佐ぁ。困るじゃないですかぁ!」
言われた『みっちゃん』は自分を指さして、にやけるばかりだ。




