高速貨物列車の旅(四十)
変装と言うのにも『限度』というものがある。
例えば頭の大きさ。頭蓋骨の大きを簡単に変えられることはできない。それに、足の長さ。これも変えるのは難しい。
あとは、鼻の高さとか、耳の形とか、目の色とか。
あぁ、そうだ。パンツの柄を変えるのも難しい。
「こいつは誰だ?」
トイレから出て来た男は、明らかに弓原少尉とは違う男だ。ズボンの中にシャツを入れる仕草。チラチラとパンツが見えている。
石井少佐は『医者』という立場上、見慣れているが、井学大尉には少々刺激が強かったようだ。目を背けている。
「汐留の『みっちゃん』です」
知るか! 聞いても判らん。佐々木車掌の目を見て『正解』なのだろうが、その説明では要領を得ない。
石井少佐は諦めたのか、溜息をして質問を変える。
「こっちに乗っていた弓原少尉は、何処へ行ったのかね?」
イライラしているのだろう。下を指さす腕が大きく動いている。
「お家へ帰ったのだと思います。けど?」
続けて『住所までは知りませんが』とでも言いたげ。そんなポカンとした顔で答えられても、困ってしまうではないか。
「貴様! 舐めたこと言ってるんじゃないぞっ!」
怒りだしたのは井学大尉の方だ。最早みっちゃんは眼中になく、背を向けていた。佐々木車掌は顔を顰めて答える。
「別に、舐めてなんていませんよぉ」
そう言って井学大尉の方を見た。血の気の多い人だ。
するとみっちゃんが、井学大尉の後ろで『ベロン』と舌を出し『井学大尉を舐める仕草』をしているではないか。
佐々木車掌と目を合わせたかと思うと『にっ』と笑う。
「ニヤニヤしているじゃないかっ!」
井学大尉が一歩前に出て、佐々木車掌の上から下までを舐めるように見つめ、更に怒りを露わにする。
それには流石に、佐々木車掌も焦る。
みっちゃんの方を見て、『やめて下さい』と目でアピールしたのだが、そんな心理を理解する者は、みっちゃんを含め、この車掌車にはいないようだ。
「まぁまぁ。落ち着きなさい」
石井少佐に言われて、井学大尉も一歩引く。それでも佐々木車掌を威嚇するような鋭い目つきはそのままだ。
その後ろに控えるみっちゃんまで小さく頷いて、薄笑いを湛えた真顔で、佐々木車掌を睨んでいるではないか。
「誰かに会うとか、何かを報告するとか、そういうことは?」
石井少佐が笑顔で優しく問う。問われた佐々木車掌は、目を泳がせて石井少佐の顔を直視できない。
「と、特に何も、言っていませんでした。けど?」
声が上ずってしまったのには理由がある。
石井少佐の真似をしたみっちゃんが、腰に手をあて、石井少佐よりもオーバーアクションで『詰問』する様子が見えたからだ。
ちょっと止めて欲しい。笑ってしまうではないか。
「そうかっ」
石井少佐は短い言葉を発して押し黙る。腕を組み考え始めた。
その姿に笑顔はない。もう形振り構っていられないとでも思っているようだ。
しかし佐々木車掌は、一貫して落ち着いている。
なにしろ、ここは車掌車。国鉄のテリトリーだ。
幾ら相手が軍人でも『俺の庭で好き勝手なことはさせないぜ』と、硬い決意を持ち続けているのだろう。
「上に掛け合っても良いのだが?」
組織人間にありがちな常套句を、石井少佐が吐く。それでも佐々木車掌は落ち着いている。
『やれるもんならやってみろ』とでも言いたげに、睨み返す。
確かにそうだ。
上には直流千五百ボルトの電流が流れているのだ。
何を掛けるのか知らないが、やるなら俺から離れた所でやって欲しい。そう思っているに違いない。
「どうぞ。ご自由に」
強い一言を返す。それには石井少佐も、多少は面食らったのだろうか。顔つきが柔和になって行く。
その後ろではみっちゃんが、音の鳴らない拍手をしていた。




