高速貨物列車の旅(三十九)
人は思い通りにならない時に、初めてその『本性』が露わになる。
例えば、旦那にお使いを頼んだら『違うもの』を買って来た時とか、喧嘩して実家に帰ったのに、迎えに来た旦那が両親と談笑している時とか。
普段飾り立てている程、その『本性』は醜いものだ。
だから居る筈の車掌車に『敵対組織のスパイ』が見当たらない時も、秘密のヴェールに包まれたその『本性』が溢れ出て零れ落ちる。
「どういうことだね? 車掌!」
佐々木車掌に詰め寄ったのは、石井少佐である。
思えばこの車掌こそが『諸悪の根源』と思えてきた。
八戸で『弓原少尉』を最初に見かけた時、一目見てこいつは『怪しい奴』と判った。第六感が語り掛けていた。
八戸にしては『シュっとした顔』。八戸にしては『長い脚』。そして極めつけは、八戸にしては『奇麗な標準語』だ。
何しろ『言っている内容が判る』のだ。そんなの、怪しいに決まっているではないか。ここを何処だと思っているのだ。
「どうもこうもありませんよ! 何なんですか!」
八戸にしては『反抗的な態度』。そう感じられた石井少佐は、怒りを爆発させた。
目を大きく見開いて更に一歩、佐々木車掌に詰め寄る。
何ならお前から『軍法会議』に掛けてやっても良いのだぞ?
強い決意が垣間見える。
「少佐! トイレに誰か居ます!」
石井少佐の後ろから井学大尉の声がして、石井少佐の右目が『ピクリ』と動く。傍目に見て、その表情に変化はない。
しかし、どうやら我に返ったようだ。『八戸』『八戸』と勝手に決め付けて『申し訳なかった』と、少しは思えるくらいにまで。
「確保だ!」
振り返らずに、佐々木車掌の目を見たまま、石井少佐が叫ぶ。
そしてゆっくりと表情を『笑顔』に変えて行く。
すると案の定、佐々木車掌の表情が歪み、慌て出したではないか。それを見た石井少佐は『普段の優しさ』を取り戻す。
歩き出した佐々木車掌を、笑顔のまま右手で制止して、小首を傾けている。
そしてトイレの前にいる井学大尉の方に顔を向けると、二人は目が合った。頷き合い、トイレの戸を叩く。
「出て来い!」
まるで、漏れそうな勢いで叫ぶ井学大尉。それを満足そうに見る石井少佐。まるで普段から、トイレではそうしているかのようだ。
「早くしろ!」
更に大きな声。余程我慢ができないのだろう。佐々木車掌も心配そうにトイレを見つめている。
きっとここで『お漏らし』されては、掃除が大変だと思っているに違いない。
『今拭いています!』
主語がない返事が聞こえてきたが、誰も『何をだ』と詰問したり、『どうしてだ』と咎めたりはしなかった。
寧ろ『武士の情け』、いや『人権尊重』の意思が感じられる。
井学大尉は、トイレのドアを叩くのを止めたが、石井少佐もそれを咎めたりはしない。
「け破るぞ!」
甘かった。やはり少佐は違う。
石井少佐は、仮におケツ付いた『うんち』を拭いている時であっても、確保に情熱を注ぐようだ。
しかしそうは言っても、実際にドアを『け破る』のは、部下である井学大尉の仕事である。
目で合図を送ると、それは『平文』だったのか、直ぐに井学大尉が足を振り上げる。
「お待たせしました!」
ドアが壊れる前に、男が飛び出してきた。
国鉄職員と同じ作業着に、黄色いヘルメット姿。
八戸で見た衣装とは違うではないか。やはり油断できない。
変装して逃れようとしていたのだろう。危なかった。
しかし訳が判らず、流しもせず、おまけに手も洗わずに、トイレから飛び出して来たのは、正真正銘の国鉄職員だった。




