高速貨物列車の旅(三十八)
常磐線経由の『東鱗五号』が、築地市場に入線してくるまで、あと一分三十秒。ある人はそれを、九十秒と表現することがある。
カウントダウンするにはちょっと早いが、殺伐としたアウェイの地で待つには、それでも長い時間にも感じられる。
丁度、テレビコマーシャル三本分か。
訂正しよう。やはり、凄く長い。
さっきから沢山の貨物列車が、築地市場に入線して来ている。
だから、正直見ていて飽きは来ない。
細長い砂糖菓子に、まるで沢山のアリが群がっているようにも見える。働き者の働きアリに見えたとしてもおかしくはない。
列車が到着した瞬間、瞬く間に荷物のピックアップが始まる。
あっという間に荷物が運び出されると、これまたあっという間に貨車内の清掃をして、あっという間に貨物列車は出発して、築地市場を去って行く。
まるで、早送りで見ているようだ。
それにしても一体、このお魚さん達は、何処から運ばれて来るのだろうか。
鮭は『自分の生まれた川の匂い』を覚えていると言うが、人にはそんな能力はない。
だから、お魚の匂いをクンクンしても、その生まれ、育ち、品の良さ、趣味来歴までは、判る筈もない。
それに到着するのは全て『貨物列車』なので、ヘッドマークが付いていない。
運行上何某かの名前、例えば『東鱗』とか『とびうお』とか『ぎんりん』とか。
はたまた『たかさご』とか。いや、それは流石に無理か。
そんな名前が付いているはずなのだが、仰々しく掲示されてはいないのだ。
そんなことを考えている内に、どうやら『東鱗五号』が来たようだ。係員の信号旗に誘導されて、入線してくる。
聞いていた時間と番線からして『東鱗五号』であることには違いない。しかし、他の貨物列車と違い『車掌車を先頭』に、入線して来たではないか。
ちょっと変わっているが、それはそれで丁度良いではないか。
「行くぞっ」「はっ」
石井少佐が腕を振る合図で、井学大尉も動き出す。
深く被った帽子。サーベルに手を掛け、早足になりながら二人は、鋭い視線で車掌車を睨み付ける。
その『並々ならぬ雰囲気』に、トロ箱を持ったおっちゃん達が、思わず道を譲っていくではないか。
あぁ、最初からそんな顔をしていれば、おっちゃん達に舐められることもなかったろうに。
最早『アウェイ感』はない。二人にとってそこは、既に『戦場』となったのだ。
デッキでは見覚えのある『佐々木車掌』多分二人目が、非常用ブレーキに手を掛けて、進行を見守りつつ、周りに警戒中である。
きっとその奥の『車掌室』に、弓原少尉がいるだろう。きっと、まだ朝の三時。居眠りでもしているに違いない。
すぐそこまで来て、二人は立ち止まる。
流石に運行中の列車に対して、邪魔をすることはしない。窓は閉まっていて、今更逃げ出すことは不可能。
あと数秒、列車が停止するまで待とうじゃないか。
やがて『キーッ』というブレーキ音がして、貨物列車が停車する。
信号旗がパッと上がるのと同時だ。
すると、それが合図ともなって、石井少佐と井学大尉が動き出す。
「確保せよ!」「はい!」
車掌車に群がるおっちゃん達は居ない。みんな貨車に夢中だ。
デッキに上がる梯子へ、先に取り付いたのは井学大尉。勢い良く昇って行く。
反対側で『仕事を終えた挨拶』を交わしていた佐々木車掌が、驚いて振り返った。
それもそうだろう。誰も上がってくる筈のないデッキに、勢いの良い足音が響き、それが自分に向かって来たからだ。
「何ですか!」
顔は見覚えがある。しかし、もう名前も忘れてしまった軍人を見て、思わず叫んだ。
聞こえていた筈だ。デッキの下にいる係員も、驚いて見上げているではないか。
それでもその軍人は右手を前に出すと、佐々木車掌の進路を遮った。佐々木車掌はその右手に抑えられながらも、なおも前に出ようとしている。
しかし、足を踏ん張って伸ばした右手の前では、佐々木車掌はジタバタするだけだ。
どうやら『絶対に邪魔させない』という強い意志を感じたのか、佐々木車掌は諦めて、その場に立ち止まった。
するとその後ろから、にっこり笑ったもう一人の軍人。確か『石井少佐』と言った。その人が現れたではないか。
「ご苦労様です」
敬礼し、笑顔で話しかけるその顔は、不気味そのものだ。
それにその『労いの言葉』は、名前を忘れた部下に対してなのか、それとも車掌に対してなのか、良く判らない。
佐々木車掌の方を見ながら、笑顔で明け放たれた扉の横を通り過ぎ、車掌室に入って行く。
しかし次の瞬間、血相を変えて飛び出して来た。
「居ないじゃないか! 大尉! 探せ!」
そこで佐々木車掌は、目の前にいる『もう一人の軍人』の名前を思い出す。
えーっと、確か、そうだ! イ何とか大尉だ。間違いない。




