高速貨物列車の旅(三十五)
石井少佐が言った通り、黒磯で停車した貨物列車は、あとは東京を目指して走り続けている。
夜もすっかり更けて、沈黙だけがそこにある。
少し足を広げ、サーベルを前に突き立てて、そこに両手を乗せている石井少佐。
新聞はとっくに読み終わり、体の右側に畳んで置いてある。
目を開けたまま寝ているのだろうか。先程から瞬きの回数も少なく、ただじっと前を見つめたまま。
時々通過する駅にあるポイントで、ちょいと揺れる位だ。
そんな石井少佐の視線の先にいるのが、佐々木車掌である。机に向かって仕事をしているから仕方ない。
それでも、業務上の『秘密』があるからか、なるべく石井少佐の方を見ないでいる。
時々自分のタイミングでトイレに立つが、黙ってそっと立ち上がると窓の方を向き、ひとしきり景色を見てからトイレに向かう。
机上の電話機で誰かと話しているときも、窓の方を向き『ひそひそ声』である。
井学大尉はと言うと、石井少佐の左肩に頭を乗せ、いびきを掻いて爆睡中である。
黒磯の大分手前から、ずっとだ。
そう。『ハルウララ』の話をしていたときは、まだ『うつらうつら』していたのだが、その後はすっかり夢の世界に、引き込まれてしまったようだ。
石井少佐の肩は、余程寝心地が良いのだろう。
それにしても優しい上司である。もしかしたら、膝枕にして、上着も掛けてくれるかもしれない。
まぁ、精々今は、良い夢を。である。
「東京到着は、何時ですか?」
石井少佐の声がして、佐々木車掌が振り向いた。もちろん。何も見えていない体で、答えるのみである。
「築地市場着は、一時五十七分です」
そう言って佐々木車掌と石井少佐は、自分の腕時計を見る。軍隊風に翻訳してくれるはずの部下は、未だ夢の中。
そんな部下を気遣うように、手首だけ回して時計を見る。このままの姿勢であと百分。ちょっと辛くなって来た、かも。
しかし、表情は変えない。ぐっと前を見る。
「常磐線から来るのは、東京に何時ですか?」
さっきから東京、東京と連呼しているが、『東京』という名の駅は存在しない。東海道本線のゼロキロポストは、鉄道開業以来、ずっと新橋駅にぶっ刺さったままである。
緑の窓口で『トミトウ』と言っても、全く通じない。
だから『不思議なことを聞く』と、佐々木車掌は思ったのだろうか。腕時計を見ていた顔を上げ、石井少佐の方を再び見る。
思わず笑うのを、ぐっと堪えて。
「判らないですねぇ」
「知ぃらなぁいのでぇすぅかぁ?」
石井少佐の言い方には棘があった。『車掌の癖に』と付けなかったのは、それも彼なりの『優しさ』なのだろう。
しかしそんな『やわな棘』では、佐々木車掌のハートには刺さらなかったようだ。平然と答える。
「日によって行先が変わるので。築地市場には来ないかも?」
「な・ん・だっ・て!」
石井少佐のその声で、井学大尉が飛び起きた。帽子を跳ね退けながら敬礼をしている。
そして、一度額に付けた右手を口まで戻してよだれを拭き、再びおでこに戻す。それは、一瞬の出来事であった。
「電話で確認できんのかね? 直ぐに確認したまえっ!」
石井少佐は机上の電話を指さして聞く。カッとなったのか最早『命令調』である。しかし佐々木車掌は、それでも落ち着いたものだ。
「指令にしか掛かりませんよ?」
電話の形をしているが、一般の電話とは違うのだ。
「じゃぁ、指令に問い合わせれば良いだろ!」
おいおい。そんなことで、いちいち指令に連絡なんて、出来る訳がなかろう? それに大体、何て聞くのだ?
石井少佐と数秒睨めっこしてから、佐々木車掌は電話を手にした。
「指令、『東鱗三号』の佐々木ですが、すいません『東鱗五号』の佐々木車掌を呼んで下さい。はい。佐々木です。お願いします」
そう言って、石井少佐の方を見た。『繋がったよ』『ほら見ろ』の無言の会話が、二人の間に交わされる。そして、しばし待つ。
「はい。はい。判りました。ありがとうございます」
受話器を置いた佐々木車掌が、そのまま両手の平を上にして、肩を竦める。
「向こうさん、電話に出ないそうです」
そうか。やる気か。良く判った。と、石井少佐の目が語っていた。




