高速貨物列車の旅(三十二)
「車掌さん、『ハルウララ』という競走馬が居たんですか?」
興味深そうに石井少佐が聞くものだから、佐々木車掌が笑顔で答える。
「ええ。地方競馬に居ましてね。とっても人気があったんですよ」
そう説明したのだが、石井少佐には『地方競馬』と、説明しただけでは何だか判らないだろう。
ちゃんと『東北地方』とか『中国地方』とか、そんな感じで。
「それは凄いですね」
ほら。やっぱり判っていない。しかし佐々木車掌は説明を続ける。
「それはもう、凄い記録だったんですよぉ」
にこにこ笑って、楽しそうである。石井少佐も頷いた。
「天皇賞とか? 有馬記念とか?」
数少ない『競馬用語』を並べてみたが、佐々木車掌は慌てて手を横に振り千切っている。
「いやいや。地方競馬だから!」
慌てて否定した。すると、頭を反対に傾けて再度聞かれる。
「じゃぁ、『参観馬』とか?」
真顔で聞く石井少佐を見て、再び慌てるしかない。
「いやいや! だから地方競馬だから!」
そう言って再度否定したのだが、この人、もしかしたら『地方競馬』の意味も、判っていないのではと、思い至る。
石井少佐はどこかで聞いた単語『さんかんば』とは、『高貴なお人が眺むる凄い白馬』と、理解していただけなのだが。
どうやら話が噛み合っていないと感じた佐々木車掌は、素直に戦績を話すことにした。
「ハルウララは百レース以上に出て、一度も勝てなかったんです」
勝ち負けに拘るのは、競馬関係者だけではない。軍人だってそうだ。だから、石井少佐は首を傾げる。
「ほう? しかし、それって、凄いことなんですか?」
「みんな応援してましたからね『ガンバレ! ガンバレ!』って。『一生懸命走ってたけど、また勝てなかった!』とか」
「そうなんですか」
少しだけ納得したのか、石井少佐は頷く。『逆に凄い』の部類と理解した。そして、腕を組んで考える。
佐々木車掌は『判って頂けたようで何よりです』の満足気な表情で頷いた。
「私は競馬には疎いのですが、お聞きしても良いですか?」
「はい。どうぞ?」
判り切った前置きを改めてされ、佐々木車掌は吹き出しそうになるのを堪えて笑顔になる。今更質問とは、何だろうか。
「私は家を買うお金を増やそうと、競馬が好きな人に『絶対当たる馬は何か?』と、尋ねたのですが」
「ほうほう」
さっき『軍人は賭け事はしない』と言っていたのに、随分と『人生を掛けた』行いに、佐々木車掌は前のめりになる。
「その人が『ハルウララに全部賭けろ』と言っていましてね」
すると佐々木車掌は笑い出す。石井少佐もそれを見て笑い出した。佐々木車掌は太ももを『パンパン』と叩いている。
「その人との付き合いは、考えた方が良いですぞ?」
「やはり。そうでしょうか?」
石井少佐は『余程信用していた人』なのだろう。これだけ説明しても、まだその人を信じているのだから。
佐々木車掌は笑いが止まらない。そっくり返って笑い出す。
「そんなぁ。一枚だけ買う人はいても、『家を買うお金』をつぎ込めだなんて! それはもう『軍法会議』もんですよ!」
手刀で自分の首を『シュッ』とする佐々木車掌。素敵な笑顔だ。
しかし、石井少佐は不思議そうな顔をして、再び首を傾げている。
「やはりそうですよね。でも『一枚だけ』なら、買うんですか?」
それを聞いた佐々木車掌は前のめりに戻り、真顔になった。
「自動車のお守りにね! 『絶対に当たらない』ってことです!」
石井少佐の表情が変わる。唇を尖らせ息を吸い、目を丸くして驚くその様子は、人生で何か一つ賢くなった時の顔だ。
何度も頷いている。全てを理解して、合点しているのだろう。
「なるほど! なるほどですなぁ」
その様は、まるで『子供』のように、無邪気だった。
だから佐々木車掌も、子供に話しかけるように優しく確認する。
「ご理解いただけましたか?」
「すっかりご理解いただけました!」
「それはそれは。よございましたっ」
夜更けの車掌車に、明るい笑い声が溢れていた。




