高速貨物列車の旅(三十一)
歴史は繰り返す。それは『歴史を知る者』のみが、言うことのできるセリフである。
人は顧みて考え、そして今を見つめて考える。『考える足』とは、誰が言ったか知らないが、良く言ったものだ。
井学大尉は、足を揺らして考える。きっと『そういうことに違いない』と、考えながら。
石井少佐が折り畳みながら読む新聞を、『まるでアコーディオンみたいだ』と、思っている節はない。
井学大尉がそんな洒落た奴ではないと、思わないで頂きたい。
何故なら彼は、『新聞』はおろか『アコーディオン』さえも、演奏したことがないのだから。
だから今考えているのは、きっと折り目の先にある『詰将棋の答え』だろう。
十三手詰めの内、三手目より先が、見えていないのだ。
少し先が読めないとは。まるで現実と一緒だ。
石井少佐が手にした新聞を、まったく捲らなくなって、早十五分。競馬の予想をする所で止まっている。
石井少佐は知らないのだろうが、今読んでいるレースの予想。そのレースは、既に終わって結果が出ている。
だから予想は既に『思い出に』切り替わっているのだが、石井少佐はそれでも、その頁の記事を読み続けている。
夜は長いと、そういうことだろう。
「大尉、見て御覧。馬の名前は全部『カタカナ』なんだな」
「そうなんですね」
「それに、親子でも苗字、全然違うんだな」
「そうなんですね」
どうやら二人共、競馬に詳しくはないようだ。
詰将棋を仕方なく自力で解こうとしていた井学大尉は、石井少佐への相槌で、集中力を著しく欠いていた。
いや、元々集中力などあったのだろうか。思い出せない。
「大尉。私は発見したぞ?」
「何でしょうか」
水面から浮かび上がった女神に『金を取るか』『銀を取るか』と聞かれ悩んでいる所に、また石井少佐の声が割り込む。御破算。
「十文字以上の名前が存在しないことだ!」
振り向けば、顎を上げてのドヤ顔である。
井学大尉は、そんな石井少佐の顔を、初めて見た。例え勲章を授与されたときでも、そんな顔はしまい。
「流石、少佐です!」
女神の姿を吹き飛ばした井学大尉も、どうやら同類だったらしい。
笑っているのは、仕事中の佐々木車掌だけだ。
「軍人さんは、競馬はやらないのですか?」
苦笑いで聞いてしまった。別に後悔はしていないが。
「あぁ。競馬、競輪、賭け事は禁止である」
石井少佐が新聞を少し下に下げ、笑顔で答えた。
「そうなんですね」
佐々木車掌も納得して頷く。確かに軍人が賭け事をしているなんて、考えたくはない。
賭けるのは『国の命運』だけで十分だ。
「競馬は、楽しいですか?」
「ええ。庶民の楽しみですから」
庶民とは? 佐々木車掌の言葉に、石井少佐は首を傾げる。
確か競馬は『貴族の楽しみ』であった筈だ。まぁ、それも良い。
いつの間に。時代は変わったのだろう。
「馬はお好きですか?」
「ええ。軍人なら『馬術』は、やりますからな」
石井少佐は再び胸を張る。華麗に『ピョン』と飛んで見せた。
頭を低くしたのは井学大尉だ。同じ軍人として見られたら困る。
「おぉ、それは凄い!」
一緒にされてしまったようだ。佐々木車掌は帽子を脱いで机上に置いた。
「乗馬は良いですよねぇ」
「ええ。馬は可愛いですよね。お利巧ですし」
そう言って石井少佐は、隣の井学大尉を覗き込む。
物凄い勢いで頭を上下に振っている。どうやら賛同を得られたようだ。汗を拭きながら、井学大尉が意見具申する。
「私は、食べるのも好きです」
すると佐々木車掌が笑い出す。膝をポンと叩いて指さした。
「若い人はそうでなくっちゃ。そう言えば『ハルウララ』は引退しても『乗馬用』になったそうですねぇ」
聞き覚えのあるその『名前』に、石井少佐の顔が曇る。




