深海のスナイパー(五十)
発令所には、先程と打って変わって、明るい空気が漲っている。
やはり暗い海底には『希望』という明かりが、絶対必要なのだ。それは、ある時は『国を守る』という意思、またある時は『戦いに勝つ』という意思。そして最終的には『生き残る』という意思だ。
『一番、注水開始します!』
「了解。発射は合図を待て」
『了解です! お待ちしてます!』
どうやら充電が開始されたようだ。晴嵐様様である。
いやぁ、積んでて良かった晴嵐。海洋投棄しなくて良かった晴嵐。これからは『一家に一機! 晴嵐』の時代がやって来るだろう。
キャンプにバーベキューに非常時に! 大活躍すること間違いなし! 普段は翼を畳んで物置に収納可能。
この番組が終了してから三十分以内にお電話いただければ、二百五十キロ爆弾三発をプレゼント。これでお値段、驚きの……。
「蒼鯨端末が復帰しました」
蒼鯨担当からの報告で、艦長の頭の中で放送されていた『テレビショッピング』は、打ち切られた。
「了解」
直ぐに返事して、マイクを持つ。
「一番、プラグゼロ発射!」
『アイアイサー!』『アイアイサー!』『アイアイサー!』
『アイアイサー!』『アイアイサー!』『アイアイサー!』
ちょっと待て。
今度はプラグゼロのボックスに、何を入れたのだ?
艦長は、また変な想像をしてしまったのだが、それを自らの強い意志で、打ち切った。
「蒼鯨八番へ向かえ」
「了解。蒼鯨八番へ向かいます」
蒼鯨担当はゆっくりと頷く。『そんなことは判ってます!』とでも言う感じで。
艦長と副長の会話は、発令所全員に聞こえている。
そもそも、発令所はそんなに広い部屋でもない。
艦長から副長への質問は、次に発せられる『命令の準備』であると理解されているし、逆に副長から艦長への質問は、『乗組員全員を代表して』のものであるし、艦長もそう理解している。
発令所は再び暗くなっていた。
蒼鯨端末とソーナー以外は、消灯している。少しでもバッテリーへの充電量が増えることを、見越しての措置だ。
暖房も切られているが、不満を訴える者はいない。
点いているのは非常灯だけだ。それで見えるのは、乗組員の眼光鋭い目だけだろう。
「プラグ八より受信あり。結合します!」
「やったぁぁ!」「おー」「助かった!」「いいぞ!」「助かったら飯奢る!」「慎重になっ」「うな重特上な!」「でかした!」「お前にじゃないよ」「ニャー」「艦首下、五十にてプラグ結合を確認」「ワー」「流石艦長!」「オー」「やるなぁ」「俺、帰ったら結婚するんだ」『結合! 結合!』「馬鹿こんな時に何言ってるんだよ!」「良く探し当てた!」「素晴らしい」「結合確認。プラグ八停止完了。蒼鯨八番バッテリ残容量三十%」「おぉ結構残ってるじゃん」「いいぞいいぞぉ」「チュチューしようぜっ」「本艦への充電を開始せよ」「へへへ。お前が言うとエッロイなぁ」「了解。蒼鯨八番から放電し、本艦への充電を開始します」「イエーイ」「艦長、やりましたね!」「これで家に帰れる!」「あぁ、先ずは第一段階だな」「いやぁこれで安心だわ」「お前この艦が家だって言ってたじゃないか」「これでエンジンも起動できますかね?」「だって畳がないじゃないかぁ」「あぁ大丈夫だ」「ニャーニャー!」
「静かに!」
艦長の肉声。でかい声。一瞬で発令所が静かになった。
ハイタッチしていた者、何やら言い合っていた者、借金返せと言い合っていた者、はたまた猫までが静止する。
そんな中、艦長が笑顔でマイクを手にした。
「機関長! エンジン始動の準備は出来ているか?」
発令所の全員が、スピーカーに向けて耳を向け、返事を待つ。
『はい艦長! 準備完了です!』
嬉しい報告がスピーカーから鳴り響いた。それでも発令所は静かなままだった。聞こえたのは、嬉しさの余り『スッ』と吸い込んだ、空気の音だけだ。
それにしても、あの口煩い機関長の声もだいぶ上ずっていて、凄く嬉しそうだ。一体、どんな顔をしているのか。見て見たかったなぁ。
そうだ。生きて帰ったら、報告させよう。
そう思って艦長は、大きく息を吸う。
「機関始動! イー407浮上せよ!」
機関長の報告を待たずして、発令所はまた、お祭り騒ぎになる。
お陰で機関長の報告が、スピーカーから艦長の耳に届くことはなかった。それでもきっと、機関長が怒ることはないだろう。
何故なら、艦長が嬉しさの余り握りっぱなしにしていたマイクを通じて、機関長の耳はおろか艦内に『歓喜の叫び声』が、届いていたのだから。
それに、機関長の報告を誰も聞いちゃいなかったし、その必要もなかった。
何故ならそれは、ディーゼルエンジンの心地よい振動が、イー407全体に響き渡っていたからだ。




