深海のスナイパー(四十八)
艦長は上を見上げている。その様子を乗組員は固唾を呑んで、見つめていた。
その様子はどう見ても、渇望する海上への『叶わぬ想い』を表しているとしか思えない。
ギュッと結んだ口を緩めると、出てきたのは声にならない声。大きなため息だった。
どうやら、もう指示は聞けそうにない。
艦内では、まだ漏水と戦っている部署もあるかもしれないが、発令所には暗雲が漂っている。
顔を降ろし正面を見た艦長の目は『覚悟を決めた目』をしていた。
だから帽子を被り直し、姿勢を正し、ゆっくりとマイクに手を伸ばす。
そんな様子に気が付いたのは、副長と、目の前の計器が消灯している係員達だった。
きっと艦内に、最後の挨拶でもするのだろう。
ゆっくりと立ち上がった艦長を見て、そんな思いを感じ取った係員が立ち上がる。
その物音を聞いて、艦長の指示を待っていた係員も、次々と立ち上がった。
計器を見つめていた皆も、思ってはいたのだろう。
そうして、発令所の全員が起立する。
各員が艦長に注目した。泣くのはまだ早い。
そんな様子を見ても艦長は、持ち場を離れたことを咎めることはなかった。
堂々とした姿勢。手にはマイクを持ったままだ。
艦長は最後の挨拶を、頭の中で推敲しているのだろうか。カチカチとマイクのオンオフを繰り返している。
そして、もう一度天を仰いだ。
そこには、さっきと何も変わらない天井がある。
艦長がマイクを手にして、艦内放送を始める。
しかしそれは、最後の挨拶にしては、とても早口だった。
「鈴木少佐! 『晴嵐』は回せるか!」
それは搭載している戦闘機『晴嵐』のパイロット、鈴木少佐への問いかけだった。
発令所の一同は、そのままの姿勢で、艦長を見つめている。
勘の良い者なら、戦闘機のエンジンを回して、発電しようとしていると判っただろう。
『回せます! 艦長! 待ってました!』
明るい声。潜水艦乗りに負けじと、戦闘機乗りも明るい奴が多いと、聞いたことがある。そんな男が潜水艦に乗ったら、もっと明るくなるに違いない。
きっと鈴木少佐は、そんな奴なのだ。
「よし! 回せ!」
『了解しました! ブンブン回しましょう!』
艦長が笑顔になった。そして、一同を見渡して不思議な顔をする。
「お前ら! 配置に付け! まだ終わってないぞ!」
艦長の明るい指示が飛ぶと、発令所は途端に忙しくなる。計器が消灯している者も、裏ブタを開けて修理を始めた。
艦長の目は蘇った。副長から見て、それは判る。しかし『晴嵐』のエンジンをスタートさせて、何ができるのか。それが判らない。
今度は、無駄に酸素を消費するだけなのではないか?
副長の心配は、尽きないようだ。
『艦長! 格納庫の蓋、開けて下さいね!』
それを聞いた艦長は上を見て、大声で笑い出した。
逆に副長は下を見て、直ぐにでも泣きそうになった。




