深海のスナイパー(四十六)
深海を流れる時間は、海上よりも遅い。だから、一分が嫌に長く感じるものだ。
ソーナー係が耳を澄ませ、磯風のスクリュー音を聴いていた。
その音が、さっきから速くなったり遅くなったりで、安定していない。と、思っていたら、ピタッと止まる。
間髪入れず、アクティブソーナーが飛んで来た。
幾ら何でも、ココに全長百二十二メートルの巨体があることを、見逃しはしないだろう。
次に来るのは爆雷か。それとも魚雷か。
敵の魚雷に紛れるように、味方が魚雷を撃ちこんでくることは、艦長の上条中佐も想定外だった。
磯風の艦長の顔が浮かんで、それが魚雷の姿と重なる。
いや、見えないのだが。
裏切りか。
いや、それを懸命に打ち消す。奴はそんな男ではない。
当たらないように、手前で魚雷を自爆させた。
それに位置関係は、真っ直ぐ進んで来た魚雷に、こちらから全速力で向かったことになる。
至近距離で爆発したのは、磯風にしても想定外だったのだろう。
「磯風が動き始めました」
大和は既に遠ざかっている。きっとイー407の轟沈を確信しているのだろう。指示をしたのは『作戦参謀』に違いない。
ソーナー係の報告を聞いて、艦長は頷く。どうやら磯風を煙に巻いたようだ。
きっと大和に『早く帰投せよ』とでも、言われたのだろう。
「海上が、静かになりました」
「よし、微速前進。方位0ー9ー0」
「微速前進了解。方位0ー9、艦長、動きません!」
操舵手が青い顔をして振り返った。艦長は、思わずマイクを手にする。
「機械室、バッテリー残量は?」
応答がない。
「バッテリーは?」
『殆ど残っていません!』
一気に発令所の空気が凍り付く。誰も動かない。声もあげない。
そんな中、思わず艦長は時計を見た。おかしいではないか。『あと一時間』との報告から、まだ三十分も経っていない。
「エンジン始動! できるか?」
もう、静かにしている所の話ではない。
『了解。やってみます』
生ぬるい返事が返って来た。これは余り期待できそうにない。
そもそも、これだけ大きな艦のディーゼルエンジンが、車のように直ぐスタートできる訳がない。
戦闘開始前に止めてから三時間。既に冷え冷えのディーゼルエンジン。これを始動させるのに、小一時間は掛かるだろう。
「必要のない電源を切れ! 直ぐにだ!」
そうは言っても、みんな必要な物なのだ。潜水艦の狭い艦内に押し詰められている物に、無駄な物は一つもない。
それは艦長も、十分判ってはいるのだが。しかし、そんな艦長の指示を受け、発令所は節電用の非常モードになる。
それでも既に、半分の機器は電気が来ていなくて、消灯したままだというのに。
再び艦長は時計を見た。そして考える。
そんな艦長の様子を、副長が心配そうに見つめている。副長も、バッテリーの残量を気にはしていた。酸素の量もだ。
だから艦長が、時計を何度も確認して考えているのは、残り時間を計算しつつ、考えを巡らせているのだと思っていた。
艦長がマイクを手にした。副長は身構える。
「発射管室、プラグゼロ発射準備。一番に装填」
副長の頭の上に、疑問符が浮かんだ。
『プラグゼロ? 発射準備了解』
発射管室からの応答は声が上ずっていて、疑問符が付いているのは明らかだった。




