深海のスナイパー(二十五)
夜明け前の丑三つ時。洋上で一灯だけライトが点いている。
明かりが漏れないフード付き。日本本土の方に向かって、カチカチと合図を送る。
「何も聞こえませんね」
「そろそろだと、思うんだけどなぁ」
イー407の甲板上で、係員が時計を見た。顔を見合わせて、互いの時計も。
さっき合わせたばかりだから、同じ時刻を示している。
「ライト一つじゃ、見えないんですかねぇ」
「いや、鈴木少佐は、元空母搭乗員だから。それはないよ」
新人の心配を先輩が笑って否定する。
「そうなんですか?」
どうしてそうなるのか。理由が判らず新人は首を捻る。
「洋上で空母探すときは、正面で探さず、わざと目標の左右どちらかに振って飛ぶんだとさ」
理由を話しても、新人はまだ首を傾げている。
「どうしてですか? 最短で飛んだ方が、早く着きますよね?」
すると先輩が、再びライトをカチカチやって耳を澄ます。
「いや、広い洋上で正面全体を探すより、左右どちらかを探した方が見つけ易いって、言ってたよ」
「そうなんですかぁ」
新人は、一応納得して頷いた。
「あぁ。鈴木少佐から聞いたんだけどな」
そう言って先輩は、左手を耳に充て、エンジン音を聞き取ろうと耳を澄ます。しかし聞こえて来るのは、波の音ばかりだ。
「どっちから来ますかねぇ」
「多分、俺達から見て、左からだろうね」
そう言って先輩は、南西の方角を指さした。
つまり、大湊航空基地を飛び立った鈴木少佐の『晴嵐』は、真東のイー407に対し、左側に見えるように飛ぶルートで来る。
「どうしてですか?」
新人の興味は尽きないようだ。そして、先輩と同じく南西の方角からのエンジン音を聞くために、耳を澄ませている。
「そりゃぁ北には『敵』がいるんだからさぁ。
イー407より北を飛んだら、左側の敵を気にしながら、
右側のライトを探さないといけないじゃないかよぅ」
「なぁるぅほぉどぉ!」
納得してくれたようだ。これでもし、逆の方から『晴嵐』が飛んで来たら、それこそ今度は、鈴木少佐が質問責めになるだろう。
「来たぞっ! 晴嵐のエンジン音だっ」
先輩の予想通りの方角からだった。ライトをカチカチやって、他の係員に合図を送る。
「良く判りますねぇ」
新人も作業を開始したのだが、どうして判ったのか。今度はそれを知りたいようだ。
「格納庫扉、開くぞっ!」
赤い警告灯も、今は消灯している。完全に闇の中だ。
エンジン音はだいぶ近い。
先輩は最後に、海へ向けてライトを照らすと、そこに『晴嵐』が着水した。プロペラの回転が、もうゆっくりになっている。
どうやら鈴木少佐はこんな暗闇でも、正確にイー407の場所を把握して、ピンポイントで着水を決めたようだ。
操縦席から余裕で手を振っている姿が、計器の明かりに照らされてぼんやりと見えている。
すると甲板員の一人が『晴嵐』を指さした。
「おいお前らっ! 『全身ポスター』を、お持ち帰りだぞ!」
随分とお目が高い。いや、視力が高い。大声で叫んでいる。
するとどうだろう。作戦中にも関わらず、直ぐにあちらこちらから『歓迎の歓声』が、沸き起こったではないか。
しかしそんな『歓迎の歓声』は、直ぐに波間へと消える。
その代わりに聞こえて来るのは、回収に伴う作業音のみだ。
それを聞いて、現場責任者の副長・宮部少佐は思わず微笑む。
作業のピッチが、物凄く早くなったのが判ったからだ。




