海底パイプライン(四百六十四)
視界の端に『動くもの』があって黒井は顔を上げた。パイロットとしての適性は、こんな所でも発揮されるものなのか。
いや、感心している場合じゃ無い。寧ろするのは関心を持つ方。
「おいっ! 何処へ行くんだっ! 下で支えてろよっ! おいっ!」
一瞬『便所か』とも思ったが、連れションにしては人数が多過ぎるし、食中毒なら黒井だって同じタイミングで発症すべき。安牌。
しかし換気扇の反対側、ふと振り返って後ろ側、おっかなびっくり隣の隣の更に隣も覗いてみるがおかしい。
伝令らしき人物が隣の換気扇に辿り着くと、作業中の奴らが一斉に動き出すのだ。班毎に方向は違うが、換気扇掃除を放棄するのは同じ。これはどう見ても『緊急事態』が起きたに違いない。
「チキショウッ! 俺にスクランブルを伝えねぇのおかしいだろ!」
まだパイロット『戦闘機乗り』としての習性、気概は持ち続けている。黒井は誰かが困っていればいち早く駆け付けるし、それを地上班の仲間と共に行うことを誇りとして来た。
それがどうだ。今の仲間はサッサと行ってしまったではないか。少なくとも『同じ飯の釜』を食った仲。じゃなくて釜の飯。略して釜飯を食った仲ではないか。なのにこの扱いとは。
いやこれはもう『仲間』とは言えないのかもしれない。所詮自分はこの世界の人間ではないのだから。酷い奴らだ。
「クソッたれがぁっ!」『ゴッ! ビシァアァアァッ!』
鈍い音がした。黒井の垂れた糞の音。まるで消化不良のような。ではなくて、バケツを蹴っ飛ばした音と、そこから石鹸液が零れる音である。食事中、特にシャバシャバ系のカレーを便器皿で食べていたとしたら失礼した。どうぞ続きを召し上がって頂きたい。
『ガコンッ! バッシャーン。コーンッ……』
今度は蹴る前にバケツと腰を結ぶ紐は外していた。当然だ。
梯子で降りるにしても『安全は確保しよう』とロープを手繰っていた黒井はその手を止める。これまた視界の隅に『動くもの』が映ったからだ。蹴ったバケツの行方を黒井は本能的に追う。
「一機、撃破を確認。なんちゃって?」『ユラリ……』「おいおい」
ロープ手繰りを再開する。高速巻き上げだ。しかし絡まってはいけない。絡めるのは後。手を動かし続けながら黒井は横を見た。
『グラッ!』「んな馬鹿なっ。どんだけギリギリだったんだYO!」
文句を言おうにも、ご存じの通りクレーンの運転手は既に居ない。
どうやら倒れた換気扇を『吊り上げた所』で、退避してしまったらしい。荷物を空中に浮かせた状態で放置するだなんて、クレーンを操縦する資格無しだ。免許返して来いっ!
いや、そもそも奴は砲手だった。返すべき免許を保有していない。
『ブチィィン! ドォンッ!』「嘘だろおいっ! こっち来んな!」
大体想像出来るだろう。物理法則に従えば、そんなバケツ一個がぶつかった衝撃で巨大換気扇が揺れ、ワイヤーが切れ、それが登場人物の方へ都合良く転がって来る訳が無いことを。
しかしスーパーコンピュータを駆使して、程良いバランスを後世の誰かが見つけることを祈りつつ描写する。つまり『来る』のだ。
『ドンッ、ドンッ、ガッ!』「おわぁあぁあぁっ!」『グラリ』
そもそも倒れた換気扇を起こすのに、どんだけ高く吊り上げたのだ。地面に落ちた後、羽根が二回着地した音か? 最後のは衝突?




