海底パイプライン(二百八十八)
一人の男が手を上げていた。自信が無い。
確かさっき『カナリヤの餌』として入隊したハズなのに、いつの間にか『カナリヤ本体』としてお呼びが掛かったからだ。果たしてこれを『昇進』と言うかは知らない。しかし何故にカナリアなのか。
「どっちでも良いや。じゃぁお前、早速カナリヤで宜しくな」
さっきと同じ、人懐っこい笑顔で肩をポンと叩かれる。
叩かれた方も思わず頷いてみたものの、一つ気になる点が。一応確認のために聞いてみる。多分、それ位で殺されたりはしないハズ。
「あのぉ」「何だ?」「私って『何番』になるんですかねぇ?」
既に歩き始めていた。喜び合う新人達に手を振り終って、角を曲がって直ぐに。勝也と二人っきりになってから。
新人の問いに振り返った勝也は、凄く不思議そうな顔をしている。
「お前に番号なんて無いよ」「えっ? でもお頭が『ナンバーズ』だって言ってましたけど?」「あぁ。もしかして名前が欲しいの?」
ニカッと笑って指さされた。ほら。やっぱり取り越し苦労だ。
名無しの番号だけじゃ誰が誰だか判らんし。きっと六番隊は、勝也隊長の権限で『名前達』なのだ。
「えぇまぁ。本名でも良いんだったら、俺はその方がイイっす」
「そう? 因みに何て言うの?」「俺っすか?」
笑顔で聞かれながらチョイと指さされる。何だか部活に一人は居そうな『気の良い先輩』のようだ。中々に好印象。安心出来る。
「いやごめん。ここは俺からだったね」「いえそんな」「俺は五十嵐勝也ってんだ。勝負の『勝』に、勝也の『也』ね。よろしくぅ」
勝也は指をササっと動かして字まで説明してくれたではないか。いや、ちょっと意味判んない説明もあったが、そんなの関係ない。
「俺は山田太郎って言います」「えっ嘘ぉ! カッコイイじゃん」
思い掛けないことを言われて少し照れる。
正直、今まで『カッコイイ』なんて言われたことは無かった。どちらかと言うと『書類の説明にサンプルで書いてあるみたい』な反応の方が多い。実際山田は役所に書類を提出した際、『サンプルの通りに書くな。やり直し』と言われたことがある。
「そうですかねぇ?」「いやいや。だってお前、それ英語で言ったら『ジョン・スミスです』って自己紹介しているようなモンだし」「はぁ」「判んねぇ?」「はい」「偽名だよ偽名」「偽名?」「判んねぇ? 要するに『俺に名前を聞くんじゃねぇ』ってことっ! カッコイィイィッ♪ 一度言って見てぇっ!」「えぇっ!」
なるほど。今まで『平凡な名前』とばかり思っていたが、実は平凡過ぎて『逆に良い』ということだろうか。
頷く雅人を見て、山田は雅人の隊に入って本当に良かったと思う。
「でもなぁ。『カナリヤに付ける名前』としては、良く無いなぁ」
前を向き歩き続けていた雅人だが、首を横に振ったではないか。
「えっ、ダメですかね?」「そりゃぁお前。良く考えろぉ?」
振り返った雅人の渋い顔を見れば、既に理由として十分だ。
「全国の『山田太郎さん』に悪いだろう?」「えぇまぁ」「なぁ?」
再び前を向いた勝也の後を、新人の山田は追う。歩くの速い。
「ヨシッ! 決めたッ! お前は今日から『三代目ピーちゃん』だ」
それは困る。『三代目』と『ちゃん』は、名前に含むのか否か。




