海底パイプライン(二百五十五)
「どうしたのぉ? 皆遅いよぉ? もしかして死にたい、あら?」
御堂が弾き飛ばされたのは、洋子のせいだったらしい。
笑顔で壁からヒョイと出て来た洋子だが、倒れている御堂の姿を見つけて表情が一転。扉を押さえたまま覗き込む。
「何々? その辺にもトラップあったのぉ? ウケルゥ」
一転した方向が『心配』とは真逆の方向。信じられないことだが、どうやら洋子も全てのトラップを把握している訳では無いらしい。
だとしても勝手に『死んだ』と決めつけて、指を指して笑うのはどうかと思う。いや、何とも思っていないよりはマシだろうか。
「イッテェ……」「あっ、何だ生きてたぁ」「生きてますっ!」
腰と頭を押さえているが、命に別状は無さそう。鼻をヒクヒクさせているのは、『テメェのせいだ』と言いたいのを押さえてか。
多分それが正解。上司に『テメェ』なって言ったら、ニッコリ笑って殺されるか、ニッコリ笑って見放されるかのどちらかだ。
「眼鏡飛んじゃってるよ? 大丈夫?」「これ位、大丈夫です」
洋子が心配そうに声を掛けると、御堂は笑顔で立ち上がろうと。
もしかして洋子に心配されて『嬉しい』のか? 同じ女として。洋子が扉から手を離し、心配そうに歩み寄るのも。そうだ。出逢ってからまだ一時間も経っていないが、自分の部下であるからにして。
見れば御堂の顔にあったはずの眼鏡が無い。好みは別れると思うが、眼鏡が有るのと無いのでは、無い方が可愛らしく見える。
実際御堂は、立ち上がりながら笑っていた。本当はまだ痛いのだろう。完全に『作り笑い』だが、それも笑顔の内には変らない。
年頃の女の子が笑っていれば、大体は可愛く見えると言うもの。
「いや『レンズ』の方。割れちゃったんじゃない?」「えっ」
洋子が指さしたのは眼鏡の方。そうか。洋子は部下の眼鏡『も』心配してくれる、優しい上司なのだ。御堂も嬉しいに違いない。
「ココ、眼鏡屋さん無いからさぁ、結構高く付くよぉ?」
すると意外なことに、御堂の表情から笑顔が消えた。
損害保険にでも入っていれば、『仕事中に壊れた』で何とかなるかもしれない。しかし御堂は保険に入る前に、『保険とは何ぞや』から勉強しなければならないだろう。あとカードの『リボ払い』も。
いやいや。そもそも金を出して買ったのかも怪しい。
「大丈夫でぇす」「そうなの?」「えぇ。問題ありませぇん」
ダルそうに足を引き摺りながら、眼鏡を拾い上げた。溜息混じり。
「何かキラキラしたものが飛び散っちゃってるけど? ガラス?」
すると御堂はヒビが入ったレンズに止めを刺す。大した力を込めることもなく、パキっと割れて砕け散った。もう片方は既に割れていて、フレームに破片が残っている程度。それを指先で引き抜く。
「あぁ、怪我しないようにね」「これ、伊達なんで」「あらそう」
何だ。洋子の心配は『眼鏡の方だった』と理解してか、御堂は心を閉ざす。それとも眼鏡に夢中でか、洋子の方を見もしない。
「じゃぁその辺、ちゃんと掃除しといてねぇ」『はぁあぁ?』
眼鏡を掛けた御堂の顔が『どんなだったか』は、この際想像にお任せするとして、原因とも言える洋子は既に見ていなかった。
他の新人達も。何故なら洋子が火災報知器のスイッチに歩み寄り『トン』と押すのを見ていたからだ。音が合わないって? 大丈夫。
「良い? カモフラージュスイッチを押す場合は関係無い所を蹴る」




