海底パイプライン(二百二十八)
「いやぁ、驚きました。五十嵐さんの言う通りでしたねぇ」
「なぁ? 本当に来ただろう?」「はい。しかも凄く明るくて」
海を臨む検問所に、上官と新人の穏やかな会話が弾んでいた。
新人は書面を見ながらまだ驚いている。さっき三人が署名した書類は『最終頁』なのだが、色々と記載されている紙と重ねて、冊子に纏める。これで『契約書』として形になった。後は保管するだけ。
「人は『見掛けによらないものだ』って、良く判っただろう?」
「えぇ。私も研修では、正直『何言ってんだ? そんなの有る訳ないジャン』って、思ってたんですけどぉ」「でも有った!」
したり顔で『ピシッ』と上官に指さされて、新人は大きく頷く。
「ホント、その通りですよぉ。まさか研修通りに『自殺志願者』が現れるなんてっ!」「なぁ? 楽しそうにしてたって判らんもんだ」
上官が指さした検問所のディスプレイに、フロートの映像が大写しになっていた。屋根裏に設置された超望遠レンズが捉えた映像だ。
自殺志願者には見えないが、三人は協力し合って『棺桶の蓋』を開け、意気揚々と入って行く。
譲り合っているのか、それとも先を急いでいるのか。声までは聞こえないので判らないが、別に聞こうとも思わない。興味もない。
そして研修で教わった手順通りに、ハッチが無事閉じられたではないか。自ら棺桶の蓋を閉じるなんて。それもまた人生か。
「良しっ、じゃぁ研修通りやってみろっ! 出来るか?」
「ハイッ! 任せて下さい!」「じゃぁイケ」「いっきまーす」
『ダンッ!』「ロック確認良しっ!」『ダンッ!』「注水良しっ!」
新人は研修通りに『施錠ボタン』と『注水ボタン』を押した。
ちゃんと『指先確認』を忘れないのは、研修の成果だ。今頃は縦長の棺桶の中に海水が注水され、『お望み通り』となるであろう。
「次の手順は、ちゃんと覚えてるか?」「勿論です」「何だ?」
上官の質問に新人は笑顔で『開栓ボタン』を指さした。
「三時間後に『下の栓』を開放ですよね?」「あぁ、ちょっと違うなぁ」「えっ? 違いました?」「あぁ」「四時間ん? いやぁ、確か三時間だったと思うのですがぁ」「ヒントは〇〇後、三時間」
上官の優しいヒントに、渋い顔だった新人の顔にも笑顔が戻る。
「完全水没後、三時間ですねっ!」「正ぇ解ぃ。注水した時間、ちゃんとメモしたか? 満水まで何分だっけ?」「あぁ、すいません。大体で良いですかね」「良い良い」「じゃぁ、九時十三分」「お前、大体で良いとか言ってて、結構こまけぇなぁ」「そっから三十分ですよね」「あぁって、聞いてねぇし。まぁ大体な」「じゃぁ、開栓はって、嘘っ! お昼休みに入っちゃうじゃないですかぁっ!」
新人は腕時計でも確認したが、どうやら研修通りに仕事を進めると、最後の『開栓の儀』が、お昼休みに突入してしまうのは確実。
「今日の『限定ランチ』、前から狙ってたんですよぉ」「ペペロンチーノ、イタリアンプリン付きか?」「はいぃ」「知らんがなぁ」
上司もメニューは押さえていたらしい。しかし『食べよう』とは思わないのか、軽くあしらって終わってしまった。新人は悔しい。
娯楽がほぼない硫黄島で、食事は『最高の娯楽』とも言えるのだが、その中でも限定ランチは先着順。しかも名前の通り『限定』だけあって、数も限られているのだ。遅れれば望み薄である。
「二時間で良くありません?」「水没してからぁ?」「はいぃ。自分なら二時間も息止めてらんないので、同じかなぁと」「馬鹿たれぇ。初仕事から基準違反してたんじゃダメだろっ!」「ですよねぇ」




