海底パイプライン(百九十三)
「これは『飾り』みたいなモンだから」「だそうですけど?」
腰の左にぶら提げたサーベルに右手を添えて、にこやかに話す。
そう聞いてから改めて覗き込めば、確かに『飾りに見える』ではないか。きっと陸軍士官の『正装』なのだろう。ほら、外国大使も『正装』ならば、信任状捧呈式に槍も持参出来るではないか。
「飾りでもダメッだっ!」「そうなのかね? ほら、刃も無いし」
石井中佐はシュッとサーベルを引き抜く。それを若頭の目の前に突き出した。瞬きをする間もない程速く。
しかし若頭の眉間には、まだ『穴』は開いていない。一歩も二歩も遅れて、お付きの者達が懐から『飛び道具』を出そうとするが、若頭の眉間に突き刺さりそう。これでは動けぬ。どうする?
「うむ。確かに『刃』は無いな」
若頭は本当に瞬きをしていなかった。ジッと見つめていたが、やがて自分の指先で『切先』をツンツンとやっている。血が付いたが、それはペロリと舐めてからニヤリと笑う。
日本軍は日本刀に慣れているので、見た目はサーベル、中身は日本刀なんて変わり種まであるのだが、石井中佐が披露したサーベルは、中身もサーベルのようだ。確認した通り『刃』は無い。
「良いから引っ込めてくれ」「判って頂けて何より」
若頭も『交渉の場を荒したくは無い』と見えて、ここは穏便に済ませた格好だ。別に刀だろうがサーベルだろうが、手を挙げた瞬間に『ハチの巣』だ。相手だって馬鹿じゃない。無茶はしないだろう。
「椅子をお出ししろ。失礼だろ」「えっ、はっ。こちらどうぞ」
若頭に一喝された黒服が銃をしまい、パイプ椅子を持って来る。すると無線係が無言のままそれを奪う。先ずは目視確認。更にはグッと押し込んで『耐久性』をも確認すると、石井中佐の後ろに置く。
石井中佐は若頭と目を合わせたまま、振り返らずに用意されたパイプ椅子へと腰掛けた。すると無線係は、石井中佐の後ろに立つ。
目を合わせたままの二人は呼吸を整えると、『ニカッ』と笑顔を作った。互いに笑顔には妙に自信があるのか、穏やかに交渉開始だ。
若頭が再び扇子で扇ぎ始めると、隣の補佐役が鞄から資料を出す。
「こちらの資料は、当方の被害をまとめた物です」「拝見します」
石井中佐は、若頭と笑顔で見つめ合ったまま腕を伸ばす。
そして『拝見します』と言った手前、パラパラっと捲ってはいるものの、資料の方は見てもいないではないか。
補佐役は驚く。何か文句を言おうものなら、一喝してこちらの要求を呑ませようとしていたからだ。数字の裏だって取ってある。
それを見もしないで、笑って捲るだけでなのだから堪らない。その上あろうことか、最後まで捲り終わったと思ったら、資料を『グシャッ』と握り潰したではないか。思わず立ち上がる。
「テメェこの野郎っ!」「人質は無事なんだろうな?」
補佐役が殴り掛かろうとした瞬間、まるで『打ち合わせ』でもしていたかのように、無線係が前に出て来ていた。石井中佐の体に触れぬように。補佐役との間に入るとピタッと止まる。
「待てっ!」「若頭ぁ。コイツふざけてますって」「良いから座れ」
若頭は仰いでいた扇子を『パチンッ』と閉じ、補佐役の動きを止めていたのだ。勢い良く前に出ていた補佐役を片手で止める辺り、若頭も『結構な力持ち』と言った所か。補佐役は渋い顔で座る。
「でもぉ」「お前ぇ、今死んでたぞ? なぁ? 中佐殿」「はてぇ」




