海底パイプライン(百七十一)
辰也は驚く。吉原ビルの地上階にある病院には、とんでもない医者が紛れていることに。いやまぁ、患者だってとんでもない輩ばかりなので、『お互い様』と言えば、それまでだが。
「医師免許無いんですか?」「あぁ」「ダメじゃないですかぁ」「良いんだよ」「いや駄目でしょう」「良いんだって。お前だって免許が無いのに刀振り回したり、銃を撃ってんだろっ!」「あっ」
若頭の正論に、辰也は一言も言い返せない。
それに何か、『だったら良いか』と思えてしまうから不思議だ。
「でも若頭ぁ。お言葉ですが『医学の知識』が無いと流石にねぇ?」
辰也の言い分にも一理ある。『癌細胞を見分けられない』とか、『人の気持ちに寄り添えない』とかならまだしも、『弾丸を摘出出来ない』とか『血を見たら気絶する』なんてことになったら、ヤブでも『医者』とは呼べないではないか。
「その辺も大丈夫だ。ちゃんと医学の知識だってある。凄いぞぉ?」
「本当ですかぁ?」「本当だよ。お前だって、火傷治っただろぉ?」
「えぇまぁ。ほらこの通り、結構跡も残らず綺麗にして頂きました」
「辰っ! 見せんで良いっ! しまえっ! たくぅ」「へへっ」
「あの先生はなぁ、医師免許の試験で『引っ掛け問題』にやられただけで、実力の方は折り紙付きなんだ」「何すかそれ?」「知らねぇよ。医者じゃねぇんだから俺に聞くなっ!」「すいません」
辰也は頭を掻きながらペコペコしている。若頭の代りに説明すると、医師免許の引っ掛け問題とは『禁忌肢』のことである。
幾ら点数が良くても『医者としてココは間違えちゃダメだろぉ』という問題が仕込まれていて、見事踏み抜くと不合格なのだ。
明らかに患者が死んじゃう答えを選択したので、当然と言えば当然である。医者である前に『人としてどうか』を問うのかは知らぬ。
「どうせあれだろぉ? 『運転免許の奴』みたいなのだろぉ?」
ほらね。呑気に別の話に切り替わったではないか。辰也も『それなら』と大きく頷く。どうやら『十分な経験』があるようだ。
「あぁあれっすね『停止線の手前で止まった。〇か×か』みたいな」
「ん? お前、それの何処が引っ掻けなんだよ。そんなの〇だろぉ」
ノータイムで若頭が答えたのを受けて、辰也がニヤリと笑う。
「それがですねぇ、答えは×なんですよ」「何でだ? 〇だろぉ?」
確かに×である。正しくは『停止線の直前』であるからにして。
すると辰也はバツが悪そうに首を捻り、頭を掻き始めた。
「すいません。理由は忘れました」「馬鹿っ! 覚えてろよっ!」
「いや俺、免許持ってないんで……」「あぁ……。だよなぁ……」
若頭は納得だ。今度から辰也が運転するときは後ろに乗るか。
「あれっすよ。『火曜日の問題は割と易しい』って、傾向までは掴んだんですけどぉ。あと、免許センター横の予想屋、マジ凄いっす」
「そこまで判ってんだったら、もう受かれよっ!」「ですよねぇ」
微妙な空気が流れていたのだが、若頭がふと思い出す。
「だから、その九十九先生がなぁ?」「あぁ、そうでした」
「確か若い頃、『731部隊に居た』って、言っていたような?」
「そうなんですか。そこでも『モグリのヤブ』だったんですか?」
「流石に軍では『無免許でイケる』訳ねぇだろぉ」「でぇすよねぇ」
「ただなぁ、何か『詳しくは言えねぇ』って言ってたのは覚えてる」
若頭が若い頃、酒の席で九十九の隣だったことがある。そのときの話だ。性病についてやたら詳しいので、何気なく聞いたのだ。




