海底パイプライン(百七十)
「いや、俺も良く知らん」「あらっ」
若頭の答えを聞いた途端、辰也はズッコケてしまった。如何にも『知っている風』に言っていたのにコレだ。どうせいつもの『冗談』なのだろうと思って、辰也は軽口を開こうとして止める。
「若頭?」「うーん」「どうしたんですか?」「……」
若頭はまだ考えているではないか。邪魔してはいけない。
辰也は黙り込むしかなかった。その上、首を傾げ上を向いた若頭の視界から、ちょっと外れるように気を遣う始末。
一歩下がって両手を前に重ね、結論が出るまで『待ちの姿勢』だ。
「上の……」「はっ?」「ほらっ。上っ!」「はぁ?」
突然若頭が上を指さす。辰也も上を向くが見えたのは天井だ。
檜の板が貼られた天井は、所々に『節の模様』がある。若頭が指さした所を良く見ると、そこだけ三つもあるではないか。
「三つ有りますね」「はぁ? 何を言ってるんだ?」「ほらアレ」
辰也の顔を見るために前を向いた若頭だが、その辰也から『変な答え』が返って来たので、若頭はもう一度上を向いた。
直ぐに気が付く。檜の天井板に節模様が三つって。
「馬鹿っ! そうじゃねぇっ! お前の目は節穴かっ!」
「違うんですかぁ?」「あれは監視カメラだっ! って、違う!」
何だか『トンデモナイヒミツ』を聞いてしまった気もするが、若頭が直ぐに否定したので辰也は忘れることにした。
一応『確認のため』と天井をそっと見上げる。なんだったら改装する自分の事務所に『真似して付けてみようかな』と思って。
「そんな『ジッ』と見るんじゃねぇよっ!」「へい。すいません」
若頭の事務所には、辰也の他にも『お付きの者』が何人も居た。
その全員が一斉に上を向いたにも関わらず、注意されたのは例によって『辰也一人』である。まぁ、いつものことだが。
「お前が世話になった、上の先生。ほら病院のっ! ほらっ!」
辰也は納得して『あぁ』と頷く。そういうことかと。
火事で重症を負った辰也は、流石に病院送りとなったのだ。そのとき世話になった『医者のこと』を言っているのだと。
「上野先生ですか?」「えっ? そんな名前だったっけ?」
「いや若頭が今おっしゃったじゃないですか」「言ってねぇよっ!」
辰也にしてみれば、若頭の返しは中々に理不尽である。しかしそこで反論する訳にも行かず、辰也は思い出す振りをするしかない。
辰也は病院で『若い看護師』と『若い受付嬢』の名前は憶えても、それ以外の名前なんて正直どうでも良い。薬だってそう。
「名前何でしたっけ? 何か入れ代り立ち代り世話になったんでぇ」
顔も年齢も、挙句何をされたのかさえ覚えてはいないのが実情だ。
「辰ぅ。お前、世話になった先生の名前位ちゃんと覚えておけよぉ」
「へい。すいません」「やべぇときに、直ぐ『良い先生』を呼べるようになぁ? そういうのは後で命取りになるぞっ!」「へい」
今度は納得して頷く。だったら『名札』には『フリガナ』を付けて欲しい。記憶を辿ると『凄く難しい漢字』だった気がするから。
「確か『九十九先生』だったかなぁ」「あぁそう。難しい漢字の!」
「難しく無いだろっ! 辰っ! お前は漢数字も読めないのかっ!」
「読めますよぉ。読み方読み方。いやぁ。あの先生は名医でしたね」
「何言ってんだ? 九十九先生は『モグリのヤブ』だぞ?」「へ?」




