海底パイプライン(百五十五)
「何を言ってるんだ? ここは吉原で、今年は七年だが?」
源次郎は部屋に飾ってある『今年のカレンダー』を思い浮かべながら答えた。自分が写っている奴。市販されなかった『幻の奴』だ。
「はぁ?」「はぁって何だ」「それは慶応、元治、文久、万延、安政、嘉永、弘化、天保」「ちょ、ちょっと待て」「文政、んん?」
言っている内容が『元号』であることは判るが、それ以外は何も判らないではないか。何をいきなり。源次郎は急いで首を横に振る。
「どれでもない」「何だと? じゃぁ文化享和寛政天明安永明和宝暦寛延」「待て待て待て待てぇいっ!」「延享寛保元文享保正徳ぅ」
余計早口になっているので慌てて止めさせる。黙って聞いていれば、どこまでも言い続けるつもりなのか。
「いつまで続くんだぁ?」「当然『吉原が出来た年』まで、だろう」
さらっと言いやがって。源次郎は『見学者の案内』なんてした経験は無い。こいつ、相当『吉原について』勉強してやがるのか?
「ちなみに。それって何年だぁ?」「そんなの俺が知るかよっ!」
違ったらしい。周りの観客も『何年だっけ? 知ってる?』とザワザワしているが、どうやら知っている者は皆無だ。
「何だとぉ?」「何だとは何だっ! 今年が何年か聞いただけだ!」
何を訳の分からないことを。源次郎は咄嗟に言い返す。
「そんなこと言って『七年も無い元号』だって、混ざってたぞぉ?」
言われた井学大尉は、思わず『うっ』と黙ってしまった。
どうやら図星のようだ。井学大尉は『江戸時代の元号』を、最後の『慶応』から逆順に羅列しただけで、初っ端の慶応ですら七年も無いのだから。『適当に言っている』との指摘に、返す言葉も無い。
「紀元だと二六八五年だっ!」「はぁ? それって昭和ぁ……」
井学大尉は頭の中で計算を始めていた。『昭和十五年が紀元二六〇〇年』だから、それに『八十五年を足して』と。
「昭和百年かっ!」「何だそりゃっ! 令和七年だっ!」「えっ? はぁ? それってぇ『今年』じゃねぇかっ!」「当たり前だっ!」
この大尉って奴は、頭を打って、おかしくなってしまったのだろうか。ファイティングポーズを取ったまま、横目に辺りをキョロキョロし始めた。時折正面の『ちょんまげ』を確認しているのが判る。
必死に『何か』を探しているようだが、自分の拳の上に『雨』が垂れたのを見て、咄嗟に上を向いた。
ファイティングポーズを右手だけ解き、掌を上にして雨を受けてみるも、先に当たったのは自分の顔の方。しかも目だ。
井学大尉は右手で目を擦りながら、不思議そうに源次郎へ問う。
「いや『溶けない』んだが? いつから雨で溶けなくなったのだ?」
井学大尉にしてみれば、ちっとも『現代に通じる物』が見当たらない。しかも『雨に濡れても溶けない世界』ではないか。
目を拭き終わって、再びファイティングポーズを取る。
「今でも溶けるよぉ。そりゃぁスプリンクラーの水だぁ」「えっ?」
源次郎が苦笑いで上を指さしながらいうものだから、井学大尉は思わず上を向く。しかし暗いし、雨が邪魔をして良く判らない。
「もしかして、『やっちまった』のかぁ?」「そぉだよぉ!」
「民間の施設にぃ?」「あぁ軍人さんよぉ。どうしてくれんだぁ?」




