海底パイプライン(百五十二)
「どっか擦りむきました?」「イテテ。何か急に痛くなってきた」
救出されるときにケツを擦ったのだろう。慌てて押さえた様が、まるで『お漏らし』をしたようなスタイルになっている。
「救護所に行きましょうか」「えっ、いやぁこれ位、大丈夫です」
源次郎の勧めを客の方が慌てて断っている。吉原ビルの病院に運び込まれたら『何をされる』か判らないと、もっぱらの噂だ。
当然のように『保険診療適用外』のやヴぁい治療を施され、借金地獄にご招待されてしまうのは目に見えている。
借金取りから逃げようにも、奴らはどこまでも追い掛けて来るだろうし、逃げ場はもう『アンダーグラウンド』しか無い。
「そうですかぁ?」「えぇ。ほら、もう血は大体止まってるし」「だとしても、消毒しておいた方が」「いやいや。歩けるし大丈夫」
源次郎としても『男のケツ』なんてジロジロ見たくもないが、辰兄に任された以上、蔑ろにも出来ぬ。
『源次郎! テメェ、俺が折角助けた客を、死なせたのかっ!』
なんて怒られたらこっちが殺されてしまう。それは御免だ。
そもそも辰兄が怒ったらもう誰にも止められない。若頭でも呼んで来れば話は別だが、そんなんで若頭の手を煩わせてしまったら、ことがデカくなるだけで良いことなんて一つも無い。
「お客様ぁ、ちょっと失礼しますよ?」「あぁっ! ダメェッ!」
源次郎は客の手を払い除け、裾を捲り上げた。露わになったケツを見て『怪我の様子』を確認する。まぁ、見ても良く判らんが。
「源次郎兄さん! どうしたんですか?」「うわっ! すいません」
後ろからの低い声。急に呼ばれたので、つい謝ってしまった。
直ぐに立ち上がって振り向けば、何だ弟分の権太ではないか。
「脅かしやがって。おめぇの声は辰兄にそっくりなんだよっ!」
「いてっ。何かすいません」「だから、もうちょっと高い声にしろ」
理不尽である。頭をコツンとやられた権太であるが、無論反論は出来ぬ。何しろ源次郎兄は、暴れたら手が付けられない。
それこそ辰兄でも連れて来れば何とかなるだろうが、女と酒を飲んでいる最中の辰兄にそんなことを頼めば、結局は痛い目を見るのは明らかだ。ここは穏便に済ますしかない。
「こちらのお客様は、ケツからの出血がちょっと酷いからぁ」
「はぁ。そうですか。源次郎兄ぃが、やったんで?」「んん?」
権太が苦笑いでとても言い辛そう。それでも仕方なくだろう。
右手を顔の前に出して『この場合、どの指なのかなぁ』と、親指、中指、小指を一本づつ順に突き立てて、確認をし始めたではないか。
「馬鹿っ! 俺じゃねぇよっ!」「テッ! すいません。てっきり」
「てっきりじゃねぇっ!」「イテッ! すいませんすいません」
一発目はタイミング良く首を縮めてやり過ごした権太だが、二発目は首を伸ばした最悪のタイミングで食らってしまった。取り敢えず二回謝った後に片目を瞑り、首を擦っている。相当来たようだ。
「救護所にお連れしろ」「いや、だから大丈夫ですって。ホラァ」
客は隙あらば逃げ出そうとしているが、源次郎にがっしりと掴まれていて逃げ出せない。権太にしても客が嫌がっているのにと思う。
「大丈夫だそうですけどぉ?」「辰兄の客だ」「お連れします」




