海底パイプライン(百四十八)
「何をしたんだっ!」「いてっ」「早く逃げるぞっ!」「はいっ」
臼蔵少尉の頭を引っ叩いて、脱出を急かす。やっと見えた互いの顔はクスリと笑っている。何だろう。この一体感は。
目の前に迫っていた炎だが、キャノピーに守られて丸焦げは免れている。しかしそれも時間の問題。多数のヒビから漏れ出る『熱気』は本物。このままでは本当に焼死しかねない。
折角生き延びたのにここで死んでしまっては、それこそ笑止だ。
「行くぞ。押せっ!」「はいっ」「せーのっ!」「そりゃぁっ!」
セリフの構成上交互に書くしかないが、実際には声を揃えてキャノピーを跳ね上げていた。当然火が迫る方とは反対側に。
ヒンジが壊れていて『あらぬ方向に開いた』形だが、だからって製造元が文句を言うことは無いだろう。二人は機外へと転げ出た。
『ゴォォッ!』「やヴぁいな。これは消せん」「早く逃げましょう」
炎がこちら側にも容赦なく迫っている。しかし井学大尉は暫し立ち止まり、辺りを見回していた。一体ここは何処だ。旅館?
だとしたら『畳の上に土足で上がり込む』とは申し訳ない。
その前にもしも『旅館』だとして、『営業中にヘリで突っ込む』ことの方が、大分申し訳ないのではなかろうか。
「大尉殿っ! 早くっ!」「あぁ。判っている」
腕を引っ張られてやっと動き出す。しかし井学大尉は再び立ち止まった。愛機に向かって『別れの挨拶』を省略するなど、パイロットとして許されないと思ったからだ。
根拠は示せないが『この距離なら大丈夫』と考えたのもある。
臼蔵少尉は掴んでいた井学大尉の腕が、強い調子で振り払われたのに気が付き振り返った。
「どうしたんですか? 何やって……」『ボォォォンッ!』
一瞬かもしれないが臼蔵少尉は、井学大尉が確かに敬礼しているのを見た。そしてその向こうで『紅の返礼』が打ち上がったのも。
それだけでは無い。まるで『艦』のように、ヘリの後ろから沈み始めていた。波立つのは『白波』ではなく言わば『畳波』である。
「うわっ! 大尉殿っ!」「巻き込まれるぞっ!」
ヘリが突っ込む一部始終を、二人は『特等席』で見物していたはずである。しかし実際は『自分が置かれている状況』について、完全には把握していなかった。窓の外だってまだ未確認だ。
「やばいやばいやばいやばい」「落ちるぞっ! 走れぇぇっ!」
今の場所が『三階建ての三階』であるなんて、判るはずもない。
ヘリは三階の床に突き刺さって何とか止まっていたものの、遂に梁が折れて、二階へと沈み行くのだ。するとどうなるか。支えを失った三階の床が、一斉にヘリの方へと沈み込む。
『ザザザザザァァァッ!』「もっと早くっ!」「うおぉおぉぉっ!」
ちなみに日本古来からある『畳』という物は、床の上に『ただ置いてあるだけ』なのだ。意外なことに床材と違って、『釘や接着剤で固定する』という概念自体がはなから存在しない。実に稀有。
二人がそれを知ったのは『たった今』なのであった。
『ザザザザザァァァッ!』「うわっ!」「少尉っ! うわぁぁっ!」
落ちて行く二人が『一部屋位和室にしておけば良かった』と、後悔していたのかは知る由もない。しかし二人が『畳の縁』に頭をぶつけて落ちて行ったのだけは確かだ。『ヘリ』で突っ込んだだけに。




