海底パイプライン(百四十六)
壁が迫っていた。どう見ても避けられない。正面からぶつかる。
自身の命に危機が迫った瞬間、過去の記憶が突然よみがえることを『走馬灯の如く』と言う。しかし現代に於いて、この『走馬灯なるもの』を見た者が、果たして何人いるのだろうか。実物の方。
井学大尉も然り。故に『迫り来る現実』を直視していた。意外と落ち着いている。多少『嵌められた』と思いながらも。
「うわぁぁぁッ! ママァァァッ!」
前席の臼蔵少尉は鳥目に非ず。成す統べなく叫び声を上げていた。
トリガーから両手を離し顔を覆う。この勢いで壁に激突したならば、手で守った位では何ら防御としては役に立たぬだろう。
判っていても止められない。怖くても瞼を閉じることすら出来ぬ。
『プシュゥッ! ドッカーンッ!』
スティンガーミサイルがぶっ放されていた。辺りが明るくなる。
撃ったのは井学大尉だ。黒い壁、上の方に大きな『丸い穴』を見つけていた。直観で『換気扇だ』と判断し、躊躇なく『最後の一発』を放つ。すると狙い通り穴へと吸い込まれて行く。
「伏せろっ!」「あぁあぁあぁあぁあぁっ!」
ダメだ。井学大尉の呼びかけにも臼蔵少尉は応じない。突然の爆発を前に、更に混乱して叫んでいるばかりだ。
井学大尉に言わせれば『十分な時間があった』と思える程、ゆっくりと状況が変化しているにも関わらず。まったく。
情けないったらありゃしない。それでも貴様は『栄えある無敗の帝国軍人か』と問いたい。問い詰めたい。小一時間(略)。
『グワッシャーンッ! バーンッ!』
実際はそんな叱責をする暇もなく、ヘリは頭から穴の中に突っ込んでいた。高速で回転していたメインローターが、壁にぶつかって弾き飛ばされた感覚が。もう『愛機』はスクラップ間違いなし。
何も出来なくなったことを悟って、井学大尉も両手で顔を覆う。目の前に影。斜めになった巨大な換気扇が迫っていた。
『ドンッ! ボォォォン! バリバリバリッ、パリィィンッ!』
勢い良く換気扇にぶつかると、意外にも換気扇の方が弾き飛ばされて行く。その瞬間『助かった』と思う。しかし後ろから爆発音が。
ヘリがすっぽりと入った穴を『横から観察』すれば、吹き飛んだメインローターの一部が機体に突き刺さり、勢いでエンジンも傾き、更には燃料タンクに引火して、大爆発した瞬間が拝めただろう。
そしてその音は『敵』に対しても、『殺った』と誤認させるに十分な演出となっていた。ついでに読者も騙せたであろう。
『キキキキキッ! バリバリバリィッ!』
色んな所が擦れ、壊れ、そしてまだ止まらない。
井学大尉は腕の隙間から『最後の瞬間』となるやもしれぬ『進行方向』をジッと睨み付けていた。
自分の判断に『誤りは無い』と思いつつも、一抹の不安が過ぎる。
「うっわぁぁぁっ!」
最後の瞬間だったのか。それとも臼蔵少尉の雄叫びか。いや、どちらでもなかった。臼蔵少尉は意識が無い。叫んだのは井学大尉だ。
思えば『短いトンネル』を抜けた瞬間、目の前に突然『昔の街並み』が現れて、そこへ向かって『落ちて行く』のが確定したからだ。
先んじた換気扇が甍の波を掻き分けているではないか。
しかし井学大尉はその瞬間を、目を固く閉じていて見逃した。




