海底パイプライン(百二十)
そろそろ『人間に戻っても良い頃だ』と思っていたが、振り返って実際目にすると、何と言うかこう、それはそれで違和感がある。
まだメイド服のままだし、着替えてから出直して来いと言いたい。
逃げるようにツカツカと歩き続け、廊下の角を曲がった。
「ダメですかぁ?」「いやぁ、それはどうだろうなぁ?」
しかし朱美も食い付いて来る所を見るに、余程必死なのだろう。
琴坂課長は複雑な思いで『朱美の表情』を伺っていた。
「どうしてですか?」「だってさぁ、俺に『人事権』は無いしなぁ」
「だとしても、『何かしらの影響力』は当然、有るんですよねっ?」
ダメで元々。期待を込めて言ってみると、反応は悪くない。
「まぁね。こう見えても、一応『課長』なんで」「いよっ課長っ!」
何だ。調子に乗せとけば大丈夫なタイプなのだろうか。
「改めて言われると、何か『違和感』しか無いなぁ……」「……」
ダメだこりゃ。朱美は笑顔から一転。あからさまに渋い顔だ。
琴坂課長はヘラヘラ笑っているが、裏の事情を知っている立場としては朱美と同じ顔をしたい。あくまでも気持ちの中で。
何しろ朱美は『派遣社員』という『大事なお客様』である。ぞんざいに扱って良い訳がないからだ。それに大きな声では言えないが、鍛えてもどうせ何年か経ったら製薬会社に戻るのだろうし。
「私『経験するため』に、来たんですよぉ?」「でもねぇ」
朱美から主語のない発言が。今度は一転して声がデカい。琴坂課長は当然、『システム開発』だと理解している。
廊下の向こうで目を輝かせながら振り返った、『会議室から出て来た奴ら』が『どう思ったか』なんて知らんけど。
「やってみないと判らないじゃないですかぁ」「最初は皆そう……」
新入社員に対する『職場案内』は、各部署同じトーンで行われる。例え『地獄の現場』であっても。つまり事実は伏せられて、案内自体は終始にこやか。そして第一希望から第三希望の中に『地獄の現場』を選択した奴が居たら、即『逝ってらっしゃい』となるのが常。大体『選択せずとも逝く奴』だって居ると言うのに。希望とは一体。
「こう見えても私、結構『持久力』ありますよ?」「だとしてもぉ」
「ヤル気だってこの通り」「自分からそう言う人も、珍しいよねぇ」
「じゃぁ、何が問題なんですか?」「いや問題は無いよ。多分……」
「多分って何ですかぁ」「うーん。私は良いと、思うんだけどさぁ」
そう言う奴に限って『本当は良くない』と思っているのが普通。
しかしそこを、朱美は素直に受け取っていた。琴坂課長は『嘘を付けないタイプ』で、『お人好し』だと思っている。
実際は『女に甘いだけ』で、そうでも無いのだが。つまんない嘘も付くし、無視して良い程の小さなズルもする。単に『今の朱美』には、それ以上に『思い当たる節』が有ったからに過ぎない。
「何か私、高田部長から嫌われてるんですかねぇ?」
困惑の表情を見せてつつ、琴坂課長は遂に廊下で立ち止まる。
「そうなの?」「見てて判りません?」「いや、判らないなぁ……」
真顔でそんなことを言われても困る。最初大きかった声は、あっという間にヒソヒソ声に変っていた。周りを見渡しても誰も居ない。
「どうも『外されている』感が……」「そぉかぁ?」「またまたぁ」
「ちゃんとガッツリ入ってると思うけどなぁ」「全然」「ええぇ?」
「私はもっと『ガシガシやらせてくれ』って、言ってるんですっ!」




