海底パイプライン(九十一)
「失礼しまぁす」「きぃりぃぃィィィッツ!」『ガタガタガタッ』
「何だ何だぁ?」「れいぃぃぃィィィッツ!」「お願いします!」
琴坂課長は驚きつつ演台へと向かう。それが仕事だからだ。
頭を下げられれば、例えそれが誰であろうとも一応は頭を垂れる。
「おわぁっ!」「主任っ! 今日はよろしくお願いしますっ!」
しかし顔を上げた所で、思わずのけ反っていた。目の前に化物、いや、江口部長が迫っていたからだ。今日も化粧が凄く濃い。
琴坂が課長の癖に、部長を一目見て『おわぁっ』と『呼び捨て』にするには、列記とした理由がある。
実は入社年度で言えば『江口宏実』は二年後輩で、初配属が同じ『情報処理課』なのである。そして『ハッカー資格』ありとなれば、当然『コードネーム持ち』なのであった。
今は訳あって『除名』となっているが、本人はまだ『休止』のつもり。コードネームは『エミュー』であり、命名は勿論、高田課長(当時)である。まぁ、同期の『アルバトロス』に比べれば、飛べる分だけ『まだマシな命名』とも言えるが、本人は『牧夫と一緒になれた』というだけで、有頂天なのであった。
因みに、牧夫とは一緒に『平社員スタート』であり、翌年牧夫が『主任』に昇進した際は、お祝いもしてくれた仲である。以降江口は、牧夫のことを愛情も込めて『主任』と呼んでいる。
「近い近い近い近い近い」「皆、主任のことは知ってるなっ!」
触らないように遠ざけるが、江口部長の方が振り返っていた。
当然『事情を知らない者』にしてみれば、課長に対して『主任』と呼称しながら、ペコペコ頭を下げる部長に『?』が付いているだろう。しかし江口部長の顔は普段から怖いのに、それが三割三分増し(シワの比率的に)となっているではないか。黙るしか無い。
「今日は不甲斐ないお前らのために、あの『イーグル』から信頼の厚い『主任様』がっ、わざわざお見えになっていらっしゃるっ!」
「いや宏実ちゃん? 部外者に『イーグル』って言っちゃダメッ」
コードネームは例え社内であろうと、軽々しく口にしてはいけない。これは薄荷飴の甘い約束である。
「主任っ! 私のことは『エミュー』って呼んで下さいっ!」
振り返った江口部長の顔は、下半分が両手に隠されていて良く見えないが、それで丁度良い。じゃなくて、一応甘く切なくハイハイ。
「だからコーd」「主任っ!」「はいぃ?」『ざわわ』『ざわわ』
「私と主任の仲じゃないですかっ!」「おぉぉっ!」「おぉぉっ!」
思わず声が漏れ出ていた。あの江口部長に『想い人』現る。
会議室の一同はそれを信じて疑わない。約一名を除いて。
「離婚して、宏実ちゃんと結婚しちゃえよっ!」「ええぇ?」
「あの人、結婚してたのぉ?」「見えねぇなぁ」「だろぉ?」
茶化したのは山口課長である。牧夫の同期で、NJSが誇る『超主任』の一人だ。しかし牧夫より一カ月先に課長へと昇進している。
同じく初配属は情報処理課であったが、ハッカー資格は保有していない。だからコードネームは存在しないが、薄荷飴を取り巻く事情については結構詳しい。
「やぁまぁぐぅちぃぃ?」「はいぃっ。部長、何でしょうかっ?」
「お前ぇ、どうやら『殺されたい』らしいなぁ?」『バキボキッ』




