海底パイプライン(三十八)
ベルの音で朱美は目が覚めた。音の主は寝室にある黒電話だ。
ジリリと二回鳴って切れる。実は『電話機』ではなく『モーニングコール機』なのであった。だから受話器を上げたりはしない。
「徹さん? どこ? もう行っちゃったの?」
隣に寝ていた徹が居ない。部屋にも。朱美は体を起こす。
今のベルは二回鳴ったから『二回目』か。きっと最初のベルで徹は起きたのだろう。徹は忙しくても『朝食を必ず食べる派』だ。
寝かせといてくれたのかもしれないが、声位は掛けて欲しかった。
「あっ、起きた?」「おはよう。随分早いのね」「まぁね」
洗面室ですっかり支度を済ませた徹が、朱美の元へと歩いて来る。
朱美は思わず布団で体を覆った。『笑っている徹』程、油断出来ぬ男はいない。また徹に『襲われてしまった』ら大変だ。特に『支度が終わった後』に。何しろ徹は『前科三犯』であるからにして。
朱美だって、これからシャワーを浴びて会社に行く。化粧だって時間が掛かる。準備があるのだ。朝食は……。何とかなる。
「じゃぁ、先に行くよ?」「いってらっしゃい。気を付けてね」
顎を掴まれてキス。徹はそれ以上襲って来なかった。
いや、布団を捲り、『チラッ』と覗き込んだだけ。朱美が恥ずかしがるのを見ると、投げキスして行ってしまった。
どうやって『富士山頂』まで行くのかは知らないが、今の笑顔が『最後の笑顔』だったとしたらそれは寂し過ぎる。
朱美は肩を竦めてから立ち上がった。バスタオルも無しに歩く。
大丈夫。『ドアが閉まる音』がしたので、徹はもう部屋には入って来れない。そういう『システム』になっているからだ。
この部屋を『浮気相手』には使って欲しくない。それは夫婦の『共通認識』だ。だから徹と朱美は、『夫婦が揃っているとき』にしか入ることが出来ない。生体チップによる認証なので、不正は絶対に不可能だ。逆に出るときは個別で可能。朱美はカメラ目線で頷く。
寝室には昨晩、いや『今朝までの名残』がそのままになっていた。
散らかしたのは『主に徹』だが、片付けるのは朱美の役割か。
全く。子供のように散らかしっぱなしだが、朱美にだってそれを片付けている暇はない。ウィッグを外しながら再び肩を竦める。
洗面台の横にウィッグを放り投げた。これは徹の『ド・ストライク』みたいなので、ちゃんと手入れしてまた使おう。
何気なく鏡を見て、朱美は三度肩を竦めた。
『パツキンじゃんっ! 髪染めたのっ?』『違うからぁ……』
金髪も気に入ってたみたいだけど、実は『何でもイイ』とか?
まさかね。多分『長さの問題』でしょ。朱美は『地毛』を触りながら電気を点け、シャワー室へと向かう。
これ以上髪を伸ばすのは、正直色々と面倒だ。急ぎのときとか。
朱美は中が丸見えの扉を開けた。外から、シャワー室を狙っている『カメラ』が設置されているのを、朱美は承知している。
好きにすれば良い。でも『浮気』だけは絶対に許さない。勿論『画像流出』もだが。しかしそれは問題ない。
何しろハッカーである朱美が『録画する機器』を選定し、動画編集を行う『ソフトウェア』を準備したからだ。徹は単に使うだけ。
先ず、部屋には窓がない。その上壁は全て『電磁シールド』でカバー済である。なので『無線が通じる』のは室内のみだ。
携帯電話? そんなのは無意味だし、持ち込み不可。黙って持ち込もうとしても、入り口の金属探知機で直ぐにバレる。
それに徹だって、民生品でチマチマ録画した朱美を眺めるより、専用品で『ババン!』『ドカン!』『あはん!』『うふん!』と録画された朱美を鑑賞した方が良いに決まっている。
今回のように『三カ月お預け』は、可愛そうだが想定外だ。昨日からあれだけ頑張ったのだから、後は想像で何とかして欲しい。
前回出張の折、朱美は徹にちゃんと説明している。だから今回も『スッ』と出て行ったのだろう。
説明をちゃんと理解出来たかは知らないが、要するに『持ち出しは物理的に不可』ということ。外部媒体は暗号化されていて、機器から外せば復旧不可能となる仕掛けがある。
そもそもコピーに、一体何時間掛かることやら。
仮に『持ち出しに成功した』として、動画フォーマットは朱美独自方式なので、対応する専用機器でのみ再生が可能だ。
残念ながら徹には、解析も何も出来まい。
ちなみに『徹の動き』を監視するように、これらとは『別系統のカメラ』を朱美が設置済である。それはまた別方式で。
浮気は絶対に許さない。しかし『部屋の片づけ』は、後で住吉にお願いしないと。朱美は肩を竦めた。もう何度目だろうか。
念のために補足すると『住吉』という男は、朱美の実家が経営するホテルの『掃除人』で、今はホテル『ラストチャンス』に居る。
凄い匂いとか、いつも綺麗にしてくれているので適任だ。ちゃんと部屋の『生体認証』にも登録してあるし、朱美とは入れない。
シャワー室に入ると、朱美は半円の窪みがある戸棚に腰掛けた。




