海底パイプライン(三十六)
手の置き場に困る。全裸の徹に擦り付ける訳にも行かない。
朱美は悩む。シーツに染みを増やしたくはない。ましてや『衣装に』だなんて。それに、まだ『穢れてしまった』のは下着だけ。
ご主人さまには、もっと『フワフワ・サラサラの手触り』をお楽しみ頂きたい。朱美は徹に腕を掴まれた瞬間、シーツで手を拭う。
今思えば『油断していた』と言えるだろう。朱美は抵抗する間もなく、フワリと簡単に抱き上げられていた。
服の上からでも感じる徹の温もり。後ろのリボンに手を掛けたが、それは徹の右手によって優しく阻止される。では『どうぞ』と足を開いて見るが、それも下半身に抱き付かれて阻止されてしまった。
結局朱美は、ベッドの上に立ち上がっただけだ。
「ご鑑賞されるのですか?」「もぉちろんだ」
今度は上半身を抱き締められる。この締め付け感、好き。
人形のように、朱美はベッドの上に立ち尽くす。徹が顔を埋めてくるのが恥ずかしい。そこだけは勘弁して欲しい所を狙い澄まして。
堪らず上体を逸らす朱美。すると、その瞬間を待っていたかのように、朱美を支えていた手が緩む。
ハイヒールがマットレスに食い込んでいた。重心は後ろに。だからその瞬間、朱美はバランスを失って倒れて行く。
空中で、徹にクルンを回されて後ろ向きに。膝裏を押されたからだろう。倒れるまでには至らず、膝をつく恰好で落ち着いた。
気が付けば徹が腰に手を回し、後ろから抱き着いている。
「ご主人さまっ、お約束がっ……」
後ろからの冒涜。朱美は正直好きではない。寧ろ怖いから嫌いだ。
女が後ろから『男に抱き付かれる』なんて、男は好きなのかもしれないが、『女で後ろからが好きな人』って居るのだろうか、とさえ思う。特に『徹から』は遠慮したい。口が裂けても言えないが、今までやんわりと『お断り』してきたのに。それを『今から』とは。
「大丈夫だ。安心して?」「でも……、私……。あっ」
顎を掴まれて体を捻る。そしてキス。説明もさせて貰えない。
徹の中では、既に『決定事項』であるようだ。忙しく動き始めた左手。『デンジャー紐』を探している。
しかし朱美の顔は晴れない。濃厚なキスをしている間も。そう。さっきまであんなにも、徹を『求めていた』と言うのに。
キスを終えた朱美の顔は不安げで、何とかして『徹の方』を見ているかのように見えた。実際そう。朱美は徹を見ていたかった。
違うか。出来れば、それも違う。朱美は徹を『見ながらしたい』と思っている。それに『覚えたばかりの徹』を、今度は別の角度から受け入れることに、ある意味『恐怖』を感じていたのだ。
「私、あのぉ、壊れちゃう、からぁ……。ねっ?」
再び『役どころ』を忘れる程に怯えて。声も小さい。しかし、徹の目を見て『懇願している』と言うのに、徹からは何の返事もない。
怖くなっていた。新婚旅行から帰って来た『夜』以来か。
「壊れても、捨てないで? お願い。ねぇ、お願い……」
言葉通りだ。朱美にとって『一番の恐怖』とは、殺されることでも何でもない。『徹に捨てられること』である。
だから朱美は、徹の『YES』を待ち続けていた。それを聞かない内は、後ろを許す訳には行かないと思いながら。徹の目を見て。
「これを引いてごらん?」「何?」
徹から聞こえて来たのは、『YES』でも『はい』でもなかった。
朱美は振り返って、徹が示した『紐』を見付けたは良いものの、それに触れることすら出来ずにいる。これを引いてしまったら、そのまま後ろから襲われる。そう思えてならなかったからだ。
朱美はもう一度、徹の顔を見た。恐る恐ると。
「一緒に引こうか?」「えっ、あのっ」「ほら引いて? 早く」
徹が腰から両手を離し、右手で紐を引っ張って来た。今度は左手で朱美の右手を伸ばさせると、紐を朱美の右手に掴ませる。
徹にしてみれば、凄くじれったいのだろう。あっという間だ。
「ご主人さまぁ」「大丈夫だって。朱美のために用意したんだから」
駄々っ子のように甘い声を出しても無意味。徹は朱美と一緒に紐を引いていた。『シャッ』と音がして、左右にカーテンが開く。
出て来たのは大きな『鏡』だ。怖がる朱美と笑顔の徹の顔が凄く印象的。朱美はゆっくりと『本物』と『本物』を見比べていた。
「ほら。これなら良いだろう?」
朱美は思い出す。つい、徹に言ってしまった一言を。
『ごめんなさい。後ろからは『犯されているみたい』で、嫌なの』
朱美の表情がほころぶ。徹は覚えていてくれた。確かにこれなら『見ながら』は出来る。仮に『強烈な刺激』が全身を襲おうとも、その主がいつでも『徹』と判るのなら、安心も出来よう。
しかし『約束』は『約束』だ。朱美は微笑んで徹を見つめる。
「でも、『今日は前から』って。ねっ? お願い」
すると徹はキョロキョロし始めた。『録画した証拠』を再生するのに、丁度良いカメラを探しているのだろうか。
「もう、十二時を、過ぎてるだろう? 知ってるんだから」
違った。探していたのは『時計』の方だ。この部屋には無いが。
しかしその答えに、朱美は窮する。確かに『色々な準備』と『復旧』に時間を取られてはいた。だから『給湯器の時計』が、徹が言う通り『十二時を回っていた』ことは覚えていたからだ。
「ほらっ」「あん……」「もう準備は万全じゃないか」「ああぁ」
徹に確かめられてしまった。本当に手が早いのだから。
その上、そのままかき回されてしまうなんて。離してくれそうにないし、朱美の力では、もう、どうにもならない。
ストンと落ちてしまった腰を抱き抱えられると、朱美は膝を付く。
「デンジャーッ!」「あぁん! お願い……、ご主人さまぁ……」
腰下に風が。手の感触。続いて太ももの感触が。朱美は懇願する。
「お願いしますご主人さま。せめて『そっと』壊して下さいませ」
涙目で『後ろの徹』と『前の徹』にお願いする朱美。どちらの徹からも返事はない。やがて大きく頷いたのは、目が合った前の徹だ。
「攻めて良いんだな。判った。楽しませて貰うとしよう」「ああっ」
何かが違うと思った瞬間だった。朱美は思わず体を逸らす。
すると徹に腰をロックされて、さらに後ろに引かれてしまう。
「デンジャーッ!」「あぁ、ご主人さま、お許しk……んぐっ」
布地を放り投げた徹の手が、朱美の唇を奪いに来る。
背中を触られて、息も絶え絶えになりながらも前を向く。しかし徹は、まだ壊しに掛からない。理由は朱美の声を聞けば判る。
「あああああっ、おっっっ、きぃぃっ」「ゆっくりで良いからな」
優しく励ませば、朱美は前を見てゆっくりと頷く。もう少しだ。
鏡の中の朱美は、徹のことをジッと見つめている。徹も約束通り、朱美が『落ちて行く瞬間』を逃すまいと見つめていた。
しかし朱美は前へと崩れ落ちる。追い掛けるようにして髪も。
徹が腰を支えると、朱美は膝を浮かせて両肘をつく。朱美の体を揺らし始めると、背中にあった髪が両サイドへ別れて落ちて行く。
すると背中にある大きなリボンが露わに。朱美は顔を上げた。
「あぁっ、イィィィッ。感じちゃうぅぅっ! ああっあぁあぁっ」
絞り出される声。しかし徹はイマイチ『納得』が行かない。
たちまち息が荒くなったとしても、ここで見ていてはダメだ。こんなはずじゃない。徹は直ぐに足の位置を変えた。膝をついている朱美の両足を挟み込んで閉じさせ、それから声を掛ける。
「朱美、良いかい?」「はい、ご主人さま、気持ち良いです……」
その『返事』はちょっと違う。まぁ良いなら良いだろう。
徹は朱美に覆い被さると肩をすくうように抱き締める。そして腰を落としながら、ゆっくりと朱美の体を起こしに掛かった。
「あぁ見えちゃいますっ、いやっ、恥ずかしいっ」
徹が構わず体を起こすものだから、朱美が叫び出した。
しかし徹がそこで、朱美を手放す訳がない。寧ろ目に焼き付ける。
このときを、ずっと思い浮かべていた。何度も夢にまで見た瞬間なのだから。しかし朱美は、そんな『徹の想い』を知らない。
硫黄島。海岸付近の草むらで『メイド服』を見つけたのは、徹が中学二年生の夏であった。朝のジョギングをしているときに、『黒いビニール袋』に入れられた『謎の物体』を目にする。徹は辺りを見回して、誰も居ないのを確認すると急いで近づいた。
その目は完全に『エロ本』だと確信している。噂通り『ビニールに包まれていて中身が見えない物』≒『ビニ本』=『エロ本』の数式が成り立つとの直観が冴える。しかもこれは『大漁』であるとも。
急いで中身を確認する徹。しかしその瞬間、徹は膝から崩れ落ちていた。『勝利の方程式』が瓦解して行く。
それでも『嗅覚』は鋭い。出て来た『メイド服』が、何と『使用済』であることを一発で嗅ぎ取った徹は踵を返す。
追い風参考ながら、百メートル十秒九。直ぐに手洗い。日陰干し。そして保存。それからは『構造』についての調査を開始。
調べ尽くした後は『想像』の毎日が始まる。ときには『妄想』も交えて。朱美に渡すまで、完全密封で保存されていたものだ。
あれから十年余り。徹は『至宝』とも言えるメイド服を、『理想の女』に着せている。そして今、突き上げながら腕の中に抱え込んでいるのだ。もっと見たい眺めたい。あぁ、良い香りだ。
「あぁあぁあぁっ、ご主人さまぁぁ。お許しk」「ダメだっ」
無理も無かった。鏡越しに映った徹の目からは『狂気』さえも垣間見える。朱美は押し黙るしかない。
これで徹が『満足してくれる』と言うのなら。優しくして。
朱美は騒ぐのを止め、息を呑み力を抜いた。腕がダラリと下がる。
徹は鏡に映った朱美の姿を、暫し眺めていた。黒を基調としたメイド服を、一分の乱れもなく着こなしている朱美がそこに居る。
スカートの前側は『デンジャー済』であることから短くなっていて、膝上の長さに。膝をついたベッドと裾の間から、チラリと太ももとガーターベルトが見えている。グッと体を逸らされて更に。
正面には白い布地。可憐な刺繍がまだパリッとしていて、穢れを知らぬ新人メイドのよう。紅茶セットがお似合いか。
サイドには脛まであった長いスカートがまだ健在で、左右均等に美しく広がっている。肩と袖口にも白い刺繍。
頭には白いカチューシャを乗せ、諦めたのか小首を傾げて。
徹は前に掛かっていた髪を、ゆっくりと後ろに回した。先ずは左側。続けて右側。背中は腰上から下が、パックリと開いている。
しかし徹と密着していて詳しくは判らない。徹が後ろに回した朱美の髪は、徹の背中に被さっていた。
「綺麗だよ。朱美」「……」
頷いて下を向いたままになった朱美の顔を、徹はゆっくりと持ち上げた。真っ直ぐに正面を向かせて止める。そして首筋にキス。
鏡に映った朱美と目を合わせると、僅かな乱れも見逃すまいと上から下に。ゆっくりと整えてやる。見惚れる程の美しさ。可愛さ。
鏡ではあるが、やはり朱美の鑑賞は『肉眼』に限る。手触りも何もかもが理想通りだ。早く壊してしまいたい。
「行くよ?」「はい。ご主人さま」「うん。デンジャー」「あぁっ」
徹は一本目を静かに、しかし勢い良く引いた。朱美は仰け反る。
声も顔も上に。そして同時に胸も弾け飛んでいた。信じ難いことに、天蓋へと突き上げるように上へ。暫く揺れてやがて治まる。
いや、朱美は息が荒い。徹はそんな中、乱れてしまった朱美の衣装を、再び直してやっていた。まだ一本だけだし。
さて、どの順番が良いかね? 鏡に映る朱美と楽しく相談だ。
「デンジャーッ!」「あぁっ!」「デンジャーッ!」「だめぇっ」
徹が声を張り上げる度に、朱美の姿が淫らになって行く。
朱美は化粧で人物を描き分ける。あるときは『冷徹』に。またあるときは『妖艶』に。酸いも甘いも使い分け、徹を虜にしている。
そして、ついさっきまでは『穢れを知らぬ乙女』であった。
それは徹が腰を突き上げ始めた今も、顎を引き、息を止め、歯を食いしばり、何とか保とうとしている。しかし長続きはしなかった。
鏡ではなく、後ろの徹の方に振り返ると訴えて来る。
「とぉるさぁん……」「朱美?」「きぃてぇ……。ほっしいのぉっ」
トロ目の朱美が、静かに声を絞り出している。それは『訴え』よりかは『懇願』。徹が頷くと朱美は再び前を向いた。目が合う。
凄いのが来る。身震いする朱美。いよいよ『壊されてしまう』と。
向きが違っていても、確かにこれは『徹のだ』と思いながら。




