海底パイプライン(三十三)
役に成り切っているのか、朱美の仕草は実に奥ゆかしい。
まるで沢山働いているメイドの中から、一人選ばれたような嬉しさを隠してか。それとも『見られている』を意識し始めたか。
こんな風に『微笑んでいれば良いはず』と、思い始めた迷いが垣間見えて。膝を閉じて後ろへとずり下がる。
徹はじっくりと朱美を眺めていた。照明が少し明るいのは、さっきの『回り舞台』がまだ光っているからだ。白い光。
朱美が着るメイド服の白さを、より一層引き立てている。
スカートに手を伸ばしてみるが、朱美は無抵抗だ。
下着は再びの黒。ガーターベルトに合わせてだから致し方ない。
色付きなら淡いピンクでも、濃いオレンジでも。勿論、さっきの純白も大歓迎である。座っているからか、柔らかな肌に黒のベルトが食い込んでしまっていた。『早く解放せねば』との想いが過ぎる。
が、しかし、見れば見る程『罪な服装』だ。上着と下着では、余りにもギャップがあり過ぎる。けしからん。実にけしからん。
一体『何を狙って』のことか。徹には衣装デザイナーの意図が、さっぱりわからない。じっくり観察して『答え』を探ることにした。
「この体に、暫く『逢えなくなる』なんてな」
徹の視線は下がったまま。ゆっくりと指を滑らせて。
「ああっ、私もです。ご主人さまぁ……」
朱美も心から『賛同した』つもり。徹が手の届かない所へ行ってしまうなんて、新妻である朱美にだって辛いことなのだから。
しかし朱美の心は突然揺れる。顔を上げた徹の顔がとても冷たかったからだ。まるで人生に於ける『最初の出会い』のよう。
「お前は良い。俺と違って『下界』にいるのだからな」
一言で『違う』と判って安心する。一番最初に出会った徹は、朱美を見ても『疑いの眼』しかなかった。『誰だ? こいつ』と。
それもそう。何しろ徹は容姿端麗で高学歴。その上、東京で持ち家に住む、お金持ちの家とか。相手を『千葉の田舎出身』と聞いていたならば、『ハイハイ』と笑顔で聞き流していたのも頷ける。
きっと言い寄って来る女が、掃いて捨てる程いたことだろう。
「そんなことは、決して」「それはどうかな? どれ……」
本意だ。別な意味で『命』が掛かっているのは事実。しかし今はもう『徹なしでの生活』は考えられない。徹に何をされたとしても。
「あっ」「ほら、もう『こんな』になってしまっているではないか」
「私の体は『ご主人さまのもの』でございます」「ほう。信じろと」
無意識の内に『今の状況』と『設定』を重ねていた。上を向く。
「ご主人さまだから、こうなるのでございます」
徹が何をしたら喜ぶのか。思い起こせば試行錯誤の連続だった。
話してみると、互いに『何も知らない』ことは直ぐに明白で、徹は『女』について、まるで『中学生程度』と知れた。笑えないが。
そうだ。お店の『夜用ブラ』の広告で、凄く興奮していたし。
「それは嬉しいことを言う」「ああっ」
徹は地頭が良い。だから結婚した今は、凄く饒舌になっていて。
「しかしお前の『上の口』はそう言ってくれるが、果たして……」
「ああああっ」「……は、どうかな?」
何処で覚えて来たのか『いやらしい口上』もスラスラと。
「……大丈夫です……ご安心下さいませ、ご主人さま……」
台本はない。勿論筋書きも。設定だけがそこにある。
朱美は自分でも『正解』を導き出し続けていたと思う。徹のことだけを考え、徹だけが喜んで貰えるようにしていたのに。
「ご主人さま、あのっ、どこへ行かれるのですか?」
徹が立ち上がっていた。それだけではない。背を向けて歩くとは。
そろそろメイド服を『脱がせて頂ける』と思っていた朱美にしてみれば、それは予想外の出来事だ。時間はまだあるはず。
朝日が昇ったら、暫く徹に触れて貰えることさえ叶わないのに。
徹はソファーに腰かけていた。深くゆったりと腰掛けて、直ぐには動き出しそうにもない。
「見ていてやる」「えっ?」「ここで」「あのっ、ご主人さま?」
腕を振りながらの、冷たく低い声。朱美は慌てふためく。
しかし今の徹は、例え朱美が縋っても簡単に振り払いそうだ。
「俺がいなくても『大丈夫』と言うなら、それを証明してみせろ」
意味は理解した。次に行うべきことも。
しかし朱美は『本当にそれで良いのだろうか』とも思う。親しくなって、結婚の約束もして、それから体を許した後は、もう真っ直ぐに押し倒してくるのが『徹という男』だったはずなのに。
「あのっ、ご尊顔を拝見しながらでも、よろしいでしょうか?」
自分でも『何を言っているのだろう』とは思う。
何しろ『経験』がなかった。何故なら『徹のプレイスタイル』は、気が付けば『ヒリヒリするまで』なのだから。
だから次逢えるときまで『完全休業』しかなかった。
「ダメだ。上を向け」「……はい。ご主人さま。仰せのままに……」




