海底パイプライン(三十二)
「いけませんっ! ご主人さまっ! あぁっ!」
鬼気迫る声。ベッドでバウンドした瞬間、朱美の表情が変わった。
どうやら朱美の中で、スイッチが『オン』になったようだ。抵抗せずに上を向く。徹は朱美の首筋に夢中だ。
しかし、さっきまで『弱い』と言っていたはずの朱美は笑うでもなく、寧ろ早々に悶え始めている。横目に徹を眺めながら。
ふた呼吸の後、徹がパッと顔を上げた。朱美と目が合う。
「お前の『この香り』、堪らん」
髪を撫でながら言われた朱美は、恐る恐る徹から目を逸らした。
とても見ていられなかったのだろうか。
「あぁっ、汗が、いけませんっ!」「何を言う」「あぁあぁっ!」
違った。徹の目は『もっと』だ。時々徹は朱美の上で壊れる。
きっと『今日の徹』も、立派に壊れてくれるに違いない。
徹の温もりを感じながら朱美は確信していた。朱美自身も『壊して欲しい』と思いながら。深呼吸しながら徹が起き上がる。
「髪、随分と伸ばしたんだな」
徹は朱美の腰にまで伸びた髪を、ゆったりと触っていた。
さっきまで『背中まで』だった髪が、小休止の間に『腰まで』伸びるだろうか。いや、それは有り得ない。
有り得ないのは判ってはいるが、ここで野暮な質問はしない。
「長いのがお好きと、お聞きしましたので……」「良い子だ」
褒めてはくれたがキスはない。朱美の瞬きは空振りに終わった。
普段の徹だったら、きっと『カツラ被ったの』とか言うだろうし、そもそも『ウィッグ』という単語も知らないだろう。勿論『エクステンション』略して『エクステ』だって怪しい。
今の徹は朱美の横、『大河』となって流れている髪に夢中だ。時間の都合で『ウィッグ』にしたのだが、色は地毛と揃えてあるし、徹なら『本当に伸びた』と思っていても不思議ではない。
「綺麗だね。『髪は女の命』と言うけど、凄く滑らかで良い……」
雰囲気造りのため、『咄嗟に出たセリフ』であったのに、どうやら徹の『ド・ストライク』であったか。うっとりと何度も触って。
上から背中、上から背中を繰り返すこと三回。その度に朱美は、嬉しそうに微笑みながら徹を眺める。ゆっくりとした呼吸で。
やがて上からの流れは、背中を通り越して最下流まで流れ着く。そこには『赤いリボン』があって、髪を纏めていた。
「良いのかい?」「どうぞ。ご主人さま……。ひと思いに……」
リボンに付けられていたのは『DANGER』のタグ。黒地に赤字の、正に『危険度MAX』を示すものだ。想像するだけで怖い。
その証拠に、タグを持つ徹の手が小刻みに震えているではないか。
覚悟を決めて目を瞑っていた朱美は、驚いて目を開けた。徹が両肩を持って、朱美の上半身を引き起こしたからだ。
朱美は直ぐに髪の先を見た。まだリボンはそこにある。と、直ぐに視界は徹の顔によって塞がれていた。口付け。少し長めの。
閉じていた瞼に光が当たる。朱美は目を開けた。徹が唇を開放し、息遣いから今度は『耳』を狙っていると判る。朱美は身構えた。
「デンジャーッ」
小さな声。徹が耳元で囁いていた。しかし『ウィッグ』なのに不思議と判る、この『引かれた感覚』とは。
「ああぁっ、ご主人さまぁぁっ!」
咄嗟に体を反らせていた。頭を振り、髪が美しく弾けるように。
何が『正解』かは後で判るだろう。徹が編集で『どう料理するか』によって。そしてそれを何回『お召し上がり』になるかで。
セリフも考えながらだった。勿論『ウィッグ』が飛んでしまっても、このシーンに『テイク・ツー』は有り得ない。一発勝負だ。
「愛してる朱美っ! お前を、片時も忘れたことはない……」
身動きが取れない。壊れてしまう程に抱き締められて。
朱美は上を向き『次のセリフ』が全部飛んでしまっていた。天蓋のように真っ白。ただ嬉しい。それだけになってしまっている。
全身に満ちて行くこの想い。これが『幸せ』なのだと思いながら。
微かに震える朱美を抱き締める徹にしても、『無言の朱美』ほど愛おしいことはない。小首を傾げてうっとりと見つめられて。
常に『見られていること』を意識し、あれ程に張り詰めた緊張感を維持し続けること自体が重荷であったはず。そんな朱美が今はもう、何もかも忘れ、ただぼんやりと自分を見つめている。
ゆっくりと朱美に口付け。衣装がしわくちゃになることなんて、気にも留めていない様子。丈が短くなったせいで露わになった太ももを、寧ろ積極的に徹へと押し付けて来る。好きにさせておけ。
何度も何度も顔の角度を変えながら、徹は朱美の背中を撫で続けていた。この『広がった髪の手触り』も、実に素晴らしい。
指の先には、何回か『デンジャー紐』が当たっていた。
徹はそれを、あえて引かない。大きく息を吸いながら朱美と距離を置く。この後のことを踏まえ、じっくりと鑑賞するためだ。
「素晴らしい。実に良い眺めだな」「お褒め頂き、光栄に存じます」
抱き付こうとして来る朱美の手を奪うと、ベッドに押し付ける。




