第二話 旅人の空 2 トモアの別れの挨拶
アリーシャが両親へ旅立ちの報告と別れの挨拶するために実家に向かうという。さっそく護衛の任務ってわけでもないが、彼女の家の前まで送って行くことになった。
アリーシャの実家は商家を営んでいる。中央大通りに構えた、その商店では、一般庶民には手が届かない高級衣服や宝石などを扱っている。お貴族さま御用達、さらにはこの都市の領主様さえも顧客の一人だ。
普通の商店なら居住施設も兼ねてそこで生活しているが、彼女の家は商店とは別にあり、いわゆる高級居住区にあった。要するに極めて裕福な家だったわけだ。
アリーシャの家が遠めで見える位置まできたところで、彼女の足が止まった。
いろいろと思うところがあるのだろう。俺も黙って待っていた。
アリーシャの両親はどんな気持ちなんだろう。
彼らにとっては巫女だかなんだかわからん古い慣習のせいで子供の頃に引き離されることになった。そしてもしかすれば、これが再び、今生の別れの挨拶になるかもしれない。それも本当に僅かな時間だ。
そういえば、彼女の両親は昨日の儀式を見に来ていたのだろうか。
「トモアも、一緒に来る?」
立ち止まっていたアリーシャが、急にそんなことを言い出した。
何それ冗談のつもり? ぜんぜん笑えない。俺どんな顔してそこにいればいいんだ。
最愛の娘がやっと帰ってきたと思ったらまた世界をめぐる旅に出るとか、親父さんが興奮して、俺の娘は渡さん! とか言ったりしてその流れでなんか俺が殴られそうだ。
それでなくても、俺は彼女の両親に恨まれているかもしれないのに。
「アリーシャと家族の大切な時間だ。それを俺が邪魔するわけにはいかないよ」
「邪魔なんかじゃないけど、そう……、だよね」
「しばらくしたら迎えに行くよ」
アリーシャは、俺を見ていた顔を横に向けて少し微笑んだ。
「どうした?」
「うふふっ、なんかそういうのいいなって」
「ふぅん?」
「ところで、じゃあトモアはどうするの? ここで待ってるの?」
「その間に俺も別れの挨拶を済ませておくよ」
「ご両親に? お家は街の外でしょ? 後で一緒に行けばいいのに」
「いや、叔父さんに挨拶しとこうと思って。叔父さんの家は街の中にあるんだ」
「叔父さん? そんな人いたっけ?」
「俺の親父の弟で、アリーシャがいなくなったあと、この街に帰ってきたんだ」
「そうなんだ」
「だから、アリーシャも俺のことを気にせず、ご両親との時間を大切にしてくれ」
「わかったわ。でも、そんなにかからないと思うから。って言ったら、トモアの方もゆっくりできないか、トモアもちゃんと挨拶してきてね」
「ああ、アリ-シャもな」
結局、門の前で俺はアリ-シャと分かれることになった。
玄関にノックをして、少しして扉が開き、彼女が中に入るの見届けてから。
俺もまた、別れを言いに行く人たちのもとへと向かった。
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叔父の家についた後、俺はすぐには動けなかった。躊躇する理由があったからだ。
一度、深呼吸してから、玄関の扉を叩いた。
扉が開き、中から叔父が出てきた。
「遅かったじゃないかトモア、ん?」
「そうよトモアくん。昨日の内には来ると思ってたから、せっかく美味しい食事を用意して待っていたんだけど?」
「うっ、それはすいません」
最初に、叔父とその奥さんであるエイナさんの叱責がとんできた。
旅立ちの日を前もって伝えていたのだからそうなるよな。どうにか昨日のうちに状況の説明ができていたらよかったのに。
「冗談さ、話は聞いてる」
叔父はしてやったりという顔で口の端をニヤリとゆがめた。エイナさんも硬い表情をといて微笑んだ。
「そ、それなら良かっ……た」
食事の用意してたってのも冗談ならいいんだけど。エイナさんの目の奥が笑っていないのを見るとそうでもないらしい。
小さな暖炉の前のテーブルに、叔父とエイナさんに向かい合って俺は座った。
「まさかこんな大事になるなんてな」
「ええ本当に、昨日まで想像もしてませんでした」
「そうか? 自分から手を挙げたって聞いたぞ」
「成り行きですよ」
「だが、もう覚悟はできたんだろ?」
「情けないことを言いますが、正直わかりません」
「そんなことはないさ、良い顔をしている。昨日までとは別人だ、見違えるほどのな」
自分ではわからないけど、ふっきれたってやつだろうか。
「本当はな、餞別に俺が前に使ってた剣をやろうと思ってたんだが」
叔父の目が、俺の腰の剣に向いていた。
「どうやら、もう必要なさそうだな」
「それは……、なんというか残念です」
「そんな良いもんもらっといてか? 欲張りなやつだな。だが、俺から何も無しってのは格好がつかない、それで代わりといっちゃなんだが」
深緑のマント、艶のあるしっかりとした、けれど軽い。
「良い色ですね、とても」
「自慢じゃないがとても値の張る一品なんだぜ。いろいろと見栄を張る必要が出てきた頃にこしらえたものだ」
「これを、俺に……?」
「ああ、俺にはもう必要ない。受け取ってくれるか? トモア」
叔父に促されて、俺は深緑のマントを羽織った。
「俺には分不相応じゃありませんか?」
「似合ってるさ、とてもな」
「ありがとうございます。大事に使わせていただきます」
「ああ、そうしてくれ。ところで、今日はゆっくりしていられる時間はあるのか?」
「それが……、このあと、アリーシャの迎えに行くことになっていて。それから、すぐに出発になると思います」
「そうか、思ったより時間がなさそうだな」
「慌ただしくてすいません」
「お姫さんを待たせてあるなら仕方ないさ。しかし、よく勝てたな。剣の師匠も一流のやつをつれてきていた。本人の意気込みもそりゃあたいしたもんだった」
「エドにも言われましたよ。滅茶苦茶だ、まるで素人だって」
「はははっ、そいつはいい!」
「なぜ勝てたのか、俺にもわかりません」
「なに、簡単なことだ。やつの師匠より俺の方がより上等で、やつよりもトモア、お前の方が強かった。ただ、それだけのことだ」
「……そうでしょうか」
実際、このおかしな剣がなければどうなっていたかわからない。いや、きっと負けていたと思う。だが、それを認めたくないと思ったからだろう。俺は言葉を濁していた。
「やれやれ、そんなことでお姫さまを敵から守れるのかね」
「敵、ですか?」
「おいおいどうした巫女の盾さんよ。それがお前の役目だろう?」
「実は正直、ピンとこなくて。敵といわれても誰が巫女を襲うんです? 魔物なんてもういやしない。俺なんかが護衛役に選ばれることになったのもそうでしょう?」
「ふぅん?」
叔父はアゴに手を当て、しばし思案顔になった。
「気をつけるとすれば、……そうだな。例えば、ダンダリア党とかだな」
「ダンダリア党ですか?」
「知っているか?」
「いえ、まったく」
「俺も詳しくは知らんが、東にいたころに何度かその名を聞いた。教会とは別になって巫女を信仰しているやつらの集まりだ」
「巫女を信仰する者たち? それがなぜ、巫女を襲うんです?」
「ん、ただの感だ。思想はたいして変わらんのにわざわざ教会と分かれて組織を作るっていうのは気になる。ようするにこの二つは仲が悪いってことだ」
「つまり、教会と敵対している? いやでも、アリーシャはそれこそ巫女ですよ? どっちにしろ信仰の対象なのでは?」
「まぁそうだが。わかりやすい敵がいないというなら疑わしきは敵と思えってな。誰かを守るっていうならそれくらいでちょうどいい」
「なるほど、わかりました。覚えておきます」
叔父の話のなかでもこれまでにないくらい乱暴な論理だったが、俺は納得していた。経験者は語るってやつだ、説得力が違う。
「トモア、お前は剣士になりたいと言ったな」
「は、はい」
「それで、剣士になってどうしたい?」
「おれは……」
剣士になって、それから──?
結局、叔父にその答えを返すことはできなかった。
「俺は守るものができて帰ってきた。お前は守るものができて旅立つわけだな」
それはとても穏やかで、今まで見たことのないような叔父の優しい眼差しだった。
「ええ、おかしなものですね」
別れの時がきて、席を立つ。
二人は外まで見送りにきてくれた。
そして、叔父はもう何も言わず右手を差し出してきた。
「では行ってきます。叔父さん、エイナさん、これからもお達者で」
その手をとり、俺は強く握り締めて答えた。




