第二話 旅人の空 1 幼馴染たちの再会
結局、アリーシャとはろくに話せなかった。
戻ってきた僧侶に、俺一人だけ後をついてくるようにと指名されて、そうそうに引き離されたからだ。
いや、それだけではない。
話をするくらいの時間なら十分にあった。ただ、久しぶりに会った幼馴染との距離感が、どうにも掴めずにいたのだ。
教会入ってすぐの礼拝堂、無言で佇む俺とアリーシャ。そんな二人の顔を物珍しげに交互に見比べているようすの聖女さま。その行き詰った空気に耐えられず、案内役の僧侶が来てくれたときには、どこか安堵を覚えた自分に気づいた。
だからだろう。いつもの俺なら、どうでもいいと思うような古臭いしきたりに付き合わされることにさえ感謝した。
巫女の盾としての任命儀式をこれから行うのだそうだ。
決闘の儀式で護衛役として決まったから、それで即出発とは簡単にいかないようで、なにやら一定の手続きが必要らしい。俺自体は前々から今日にも旅立つつもりでいたので、いつでも出発できるように準備ができていたんだが。
慣れない格式ばった任命式を、俺はへとへとになりながら何とかこなした。
そして、ようやく解放された。
地下から二階へ、次に案内された場所は、ベッドが一つ置いてある小部屋だった。小さな机の上にはパンと水が置かれている。
この部屋には窓がないので確認できないが、すでに夜も更けた頃だろう。
要するに、今日はもうここで寝ろということらしい。
ベッドに腰を下ろし、一息つく。それから、ベルトを外して剣を机の上に置こうとしたとき、その手が震えていたことに気づいた。
ようやく落ち着けて、一人になって、慌しかった時間の中ですっかり忘れていたものを今になって思い出した。そして今頃、恐怖がわいてきたのだろう。
相手はあのエドだった。正直、現実味がないものだった。それでも初めての殺し合いだ。それを恐ろしいと感じないほうがおかしい。
剣を少しだけ抜いて、その白く輝く刃を見た。不思議と震えが収まった。
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翌日、扉を叩く音で俺は目を覚ました。
寝ぼけた頭で部屋を見渡して、見慣れぬ光景に少し戸惑う。ああ、そうだった。昨夜は、教会の中にある小部屋に泊まったんだった。
扉を開けると、そこには老シスターがいた。
パンと水を運んできてくれたようだ。昨日、用意してくれたのもおそらく彼女だろう。
それをありがたく受け取って食べていると、また現れて、これで顔でも洗いなさい、とばかりに水をはった桶と布きれを渡された。
その間、短いやり取りであったが少し話をした。
司祭をはじめ、他所からきた教会関係者たちは夜が明ける前に、教会の総本山、大聖堂がある王都へと帰っていったそうだ。
というわけで、今この教会に残っているのは巫女と聖女と、その盾である俺。
どうやら、この三人で旅立つこと自体が定められた第一の試練であるらしい。それすら無事に乗り越えられない巫女は失格ということだ。
そんな大事な護衛役が俺で大丈夫なのだろうか?
そのためにあんな実践的な対決をさせて護衛役を決めることになったんだろうけど、もっと大々的に人を募った方が良いんじゃないのか? いまさら俺が言うのもなんだけど。
顔を洗ってから一階の礼拝堂に下りると、長椅子にアリーシャが座っているのが見えた。
アリーシャも気づいたのかこちらを向いた。
「おはよう、トモア」
「あ、ああ、おはよう」
すっかり元通り、とはいえないかもしれないが、昨日のような違和感はなかった。
でもまだ表情が固い。主に俺が。自分でも分かるくらいに。
「け、今朝はごきげんいかがですか、巫女さま」
昨日は、あきらかに最初の取っ掛かりで失敗してしまった。
はっきりと見て取れるくらいに、アリーシャは不機嫌になっていた。とにかく、人当たりのいい感じにと、あらためて敬語で話しかけてみるも。
「何よそれ、冗談のつもり? 昨日から一体なんなの? 全然面白くないんだけど!」
やっべ、また怒らせてしまったようだ。
「そんなのよりも何か言うことがあるでしょ?」
「え、なに」
ぜんぜんわかんない。
「私、帰ってきたんだけど!」
ああ、そうだ。とても大事なことを忘れていた。儀式の日、久しぶりに見た彼女の姿に一人で勝手に安心してしまって、すでに自分の中で盛大に迎えたつもりになっていた。
「おかえり、アリ-シャ」
「うん、ただいま!」
アリ-シャは、あのころのままに微笑んだ。彼女はまったく変わっていなかった。
気後れして、最初から余計な気などまわす必要はなかったのだ。
「で、どう?」
「え?」
「何か、言うことはないの? 久しぶりにあった幼馴染にたいして!」
変わったところもある。変わらなかったところもある。
「背、伸びたな」
「……それから?」
「髪は昔から長かったけど、ちょっと伸びたか」
「うん、それから?」
「儀式のとき、かっこよかった」
「そ、そう?」
「あの白いヒラヒラした服も似合ってた。ああ、その服だ」
「この服?」
「それで、あのとき思ったんだ。アリーシャって声もきれいだったんだな、って」
「も、もういいって、わかったからっ」
アリーシャは頬をそめて顔をそらした。
照れているのだろうか。だとしたら悪くない反応だと思う。
「ねぇ、トモアはあれからどうしてた?」
あれから……、アリーシャがいなくなってから俺は一体、何をしていたのだろう。
「特に何もなかった、かな」
「そうなの?」
そう、何もなかった。アリーシャに語れるような話なんか一つもない。あの数年間で変わったところといえば叔父が帰ってきたことぐらいか。
「それは私が居ても居なくても変わらなかったということ?」
「い、いや、違うぞ!?」
「ふふっ、そんなに慌てなくてもいいのに。冗談よ」
おっとっと、びびらせやがるぜ。
「私はね、えっと、どこから話そうかな。あのあと、私が連れて行かれたのは森の中に作られたとても古い修道院だったわ。なんでも初代の巫女が幼少期を過ごした由緒正しき修道院らしくて、歴代の巫女も候補に選ばれるとそこで必要な知識を学ぶために訪れるのだそうよ。私も着いてすぐに、一人のシスターが紹介されたわ。彼女の名はマリベラ、教育係というわけね。指導中はすごく厳しい人なんだけど、普段はとても優しい人だったから嫌いになることはなかったわ」
「そりゃ良かった」
「うん、それでね。そこでは二十人くらいのシスターが暮らしているの。同年代の子も一人だけいたかな。みんな仲良くしてくれた、と思う。彼女たちの精一杯で。私は、自分が次の巫女の候補だということは言わなかったし、そう紹介されることもなかった。けど、彼女たちはなんとなくだけど気づいていたと思う。一人、特別な扱われ方をされていたのと、この変な色の髪と目を見れば分かることよね」
「そうか、いろいろあったんだな」
「うん」
アリ-シャに変わった様子はない。ただ過ぎ去った思い出を語っているだけだ。でも、なぜだろう。胸が痛んだ。はっきりとした理由は分からないが、これ以上、彼女の話を聞くのがつらかった。
「そういや、ここの神父を見てないな」
「え?」
だからなのか、俺は無意識のうちに話をそらしていた。
「シスターとはさっき会ったんだけどな」
急に話が変わって、少しアリーシャはきょとんとしていたが、口元に指を当て、考えはじめる格好をしてから答えた。
「教会の偉い人たちが帰ってから、自分の部屋に閉じこもってるみたいよ」
「へえ、大仕事も終わって休んでいるのかな。地方の神父だと責任重大な儀式に関わることはなんて思ってもみなかったろうから、本場からドカドカやって来て、そりゃあ大変な気苦労だったんだろうな」
「……違うわ、怖がっているのよ」
「え、何に?」
「私たちに」
「私たちって、アリーシャと聖女か?」
「そう。トモア、あなたも含めてね」
「俺も?」
「もちろん、そうよ」
言われて俺は、エドとの決着が付いたときのことを思い出した。俺を見る聴衆の目がたしかに変わっていた。あれは恐れ怯えている者の目だった。とはいえ、それは主に聖女からもらった、この不思議な剣にたいしてだとは思うが。
「しかし、そこらの一般人なら怖がるのもわかるけど、神父がなんで? 逆にありがたがる存在なんじゃ」
俺の場合、聖女に対しては彼女のなんというかくだけた、良くいえば親しみやすい雰囲気に毒気を抜かれて、そんな畏怖とか畏敬やらはあまり感じなくてすんだけれど。
「いいえ、逆よ。信仰心があればあるほど、恐れ慄くものが生まれてしまうことだってあるのよ」
「なるほど、そういうもんか」
「ええ、そういうものみたい」
会話が途切れ、沈黙が流れた。
よし、過去のことはもういい。だから未来の、これからの話をしよう。
「ところで、今後の予定とかは決まってたりするの?」
「ん、今日中に出発しないといけないことになってるんだけど……」