第一話 降臨の日 5 試合
光の束が徐々に薄れていくにつれ、残された何かが少しずつ形どっていく。
風になびく、短く切りそろえた銀髪。輝くような白い衣服の上に、彼女の髪と同じ色の銀に輝く胸甲を着けている少女。そう、少女だ。
教会の中には聖女を象ったとされる石像が置かれていた。腰まで伸びた長い髪、身体の線を強調する薄手のローブを羽織った姿。想像で思い描いていた女神然とした印象よりもずいぶんと幼い、せいぜい俺たちと同年代くらいの見た目だ。
光の中から尊き存在が顕現する。その場にいた誰もが皆、ただの一言も発することができない。聴衆の中には感動に涙を流す者もいる。もちろん俺もその信じられない光景に思わず二度見した。
だが、その神秘的な余韻はすぐに人びとの疑問と動揺にうって変わった。
聖女は何か落ち着かない様子で、それは不安というより、興味深げといった感じで周囲をキョロキョロと見渡していた。それを聴衆はただ固唾を飲んで見守っていた。
何かがおかしい。違和感が拭えない。聖女をならもっとこう超然とした存在であるものと、人々はそう勝手に考えていたのだろう。俺もその中の一人だ。
しばらくして、その聖女の行動は、彼女の視線が巫女をとらえることによって止まった。
そして聖女はおもむろに口を開き、アリーシャの名を呼んだ。
それには巫女といえど不意を突かれ驚いた様子だが、すぐに彼女は冷静を取り戻した。神話にうたわれる銀の聖女なのだから巫女の名前くらい聞かずとも知っていておかしくはない、そう判断したのだろう。
聖女は未来予知の能力を持つといわれ、これから起こりうるすべての出来事を知ってるのだとか。またそれだけではなく、彼女は知の女神とも呼ばれ、あらゆる知識に精通しているとされている。
「静粛に」
司祭の一言で、ざわつきはじめていた聴衆は静かになった。同時に騒いでいた聖女も大人しく静かになった。信じられないことに、まるで怒られてしょげている子供のようだった。少なくとも気落ちしているのが見てとれる。
「次代の巫女は盾を必要としておられる」
司祭はアリーシャを巫女と呼んだ。どうやら聖女降臨を成功させたことで認められたようだ。
それはさておき、今しがたの唐突な言葉の意図が聴衆はよくわからなかったのか首を傾げていていた。
俺は、エドに前もって知らされていたおかげでこのあとの展開が予想できた。領主の一派も同様に気を引きしめている。
「盾に相応しき者は前へ」
これから始まるのだ。巫女の盾、護衛役を決める戦いが。
聴衆は互いの顔を見合わせて周囲をうかがっている。ざっと見回したところ、やはり手をあげる者はいないようだ。ただ単純に司祭の言葉が簡潔すぎて理解が追いついていないというのもあるかもしれない。
エドはその様子を見ながら皮肉げに口の端をゆがませていた。
「我が名は、エドモンド・ハーストン。セルビエス領主リディックス・ハーストンの息子」
堂々と名乗りをあげて前へと進み出た。
その後、彼のあとは誰も名乗りをあげない。当然だ、領主の息子と争おうとするやつなんてそうそういないうえに、俺が思いつくかぎり腕に覚えがあるやつなんてこの街だと自警団の面々くらいだった。彼らは領主であるハーストンに雇われえている身で、雇い主の機嫌を損ねることはできないだろう。
他には偶然居合わせたか、どこかで聞きつけて見物に来ていた行商人ぐらいだ。彼らの中には腕に自信がある者も混じっているかもしれないが、こいつらだって領主に目を付けれるのは困るはずだ。前もって護衛役が選抜されることを知っていたらもっと腕自慢のやつが大勢集まって来てたかもしれないところではあるが、住人の俺すら知らなかったことをよそ者が知るはずもないだろう。
正直、大事な護衛役をこんな決め方でいいのかとは思うが、古くからの伝統と形式を優先しているのだろう。実際、平和な世の中で彼女たちの天敵である魔物なんかわざわざ探しにでも行かないかぎり出会うことがない。
何より巫女のアリ-シャ自体がとても強い。正直いって護衛役の質はあまり関係ないのかもしれない。そういえば、聖女の方はどうなんだろう? 未来が見れるとか、すごい知識があるとか聞くが、腕っ節については良くわからない。
「どうやら俺以外にいないようですよ? これはもう決まりですね」
エドが司祭に話しかけた。
「何も決定などしておらぬ。立候補者同士の決闘により盾を決める、それが慣例である」
「なっ!?」
余裕を見せていたエドが動揺する。
「じゃあなんですか、名乗りをあげる者が現れるまでこのまま待てと?」
「それが慣例である」
「名乗りをあげたのは俺だけだ、もう俺で決まりでいいだろう!」
「慣例である」
「そんな馬鹿な!」
司祭はにべもない。まったく受け付けない。
「しかし、他に名乗り上げる者がいなければ、このまま私の息子でよいのではないのですか?」
領主もたまらず口をはさんだ。
「ならぬ、慣例は慣例である」
司祭はいたって冷静に答えた。しかし、なんともいえない強烈な威圧感があった。見た目もそれほど怖いわけでもないというのに不思議なものだ。
司祭の態度から、これ以上の抗議は無駄だと悟った領主は急いで側近の男と相談を始めた。
適当な相手を見繕おうとしているだろう。おそらくだが、予想外の者が手をあげた場合のための用意を事前にしておいたはずだ。
しかし、それもうまくいかず揉めているようだ。
無理もない。神聖な儀式の前で、偽りの候補者として前に出たら見破られてしまうかもしれないと恐れているのだ。通常ならば一笑にふすようなことだが、今はその可能性を否定できるものではなかった。
天に届く光の柱から現れた、有無を言わせない神秘の存在が自分たちの目の前にいるのだ。
やはり相手が現れる様子はない。だが、司祭は顔色一つ変えない。しかし、どうやってこの場を収めるつもりなのだろう。
アリーシャの顔を見た。こちらの方を向いているようではあるが、目が合うということはなかった。その表情からは感情は読みとれない。心ここにあらずという表現がぴったりとくる。聖女を呼びだしたことでさすがに彼女も疲れたのだろうか。
聖女の顔を見た。ニコニコと微笑んで周囲を観察するようにキョロキョロと見まわしている。最初からだが、なんというか落ち着きがない。少なくとも機嫌はいいようだ。
エドと目があった。俺の顔を見ていくらかの落ち着きを取り戻したようだ。口角をあげて勝ち誇ったような顔。
「我が名はトモア。……ただのトモア」
周囲がざわついた。
気づけば俺は手をあげていた。無意識だった。しかし、あげたものは仕方がない。こうなれば引き返すことはできない。
「誰でもいいんでしょう? なら参加しますよ」
俺は前に進み、肩にかけていたバッグを邪魔にならない場所に下ろした。
周りの僧侶たち、司祭は無表情で反応がない。
……あれ? だめだったのか?
空気が固まる。
たっぷりの間をおいて、司祭はようやく静かにうなずいた。
ああ良かった。どうやら俺は対戦相手として認められたようだ。
一息ついたあと、エドの正面に向きあった。
「知っていたさ、お前は信用ならないやつだとな」
「すまんな、一応謝っておく。しかし成り行きだよ、お前も困るだろ? あのままだとさ」
「まぁいい、決着をつけようぜ」
僧侶が近づいてきて、俺とエドはそれぞれ一振りの木剣が手渡された。
そういえば木剣を持つのは初めてだった。いつもの稽古では刃引きした鉄剣を使っていた。ためしに何度か上下に振ってみる。比べればたしかに軽いと感じるがそこまでの差はなさそうだ。特に問題はないだろう。
エドの方はどうだ。稽古は木剣だったという可能性はある。もし、そうだった場合に使い慣れているかどうかで有利不利が生まれたりするのだろうか。
司祭が近づいてきて両者の真ん中に立つと、おもむろに手を掲げた。
「では、始めよ」
思いのほか飾りの気のない開始の合図により、二人の戦いがはじまった。
「てゃあッ!」
先に仕掛けたのは俺だった。跳ねるように飛び出して、その勢いのまま剣を振り下ろした。
エドは余裕の表情で俺の最初の一撃を受けてみせた。
間髪入れず続けて二度、三度と剣を振るう。だが、すべて弾きかえされた。当然エドも受けているだけではない、隙をぬって反撃を繰り出しきた。今度は俺が受ける番になった。
「っらァ!」
エドの初撃、それは力強いけさ切りだった。俺は真っ向から受け止めた。
渇いた木が叩きつけられる甲高い音が響いた。しばし押し合ったあとの二撃目は、間合いをとるための牽制の一撃だった。
そして三撃目、下から振り上げて迫る剣を、俺は振り払うように叩き落した。
その返す刀で前のめりになりながら大きく横になぎ払った。それに対してエドはとっさに後ろへ飛びのくように下がってかわしてみせた。
ふいにできた間に一息ついた。
正直、自信なんてものはほとんどなかった。なにせ叔父と稽古でしか剣を打ち合ったことがないもんだから自分の実力というものがどの程度あるのか俺は分からなかった。
それでも何度か打ち合って確信する。
当たり前だが、エドは叔父と比べるべくもない。重さや力強さ、早さや正確さも段違いに劣っている。思わず笑みがもれた。
「ふっ」
見ればエドも余裕を表現するかのように口の端を歪ませていた。
どうやら思うところは同じようだ。お互いに相手をたいしたことないものと判断したらしい。
エドは緩んだ頬を引き締めると跳ねるように斬りこんできた。それを俺は体をひねるように合わせて剣でさばきながら、あわよくば体勢をくずせばいいと力のかぎり打ち返す。
斬りあって数度、体も暖まり硬さもとれて、落ち着いて相手を見ることができるようなったのか、最初の勢いだけの打ち合いというのはなくなった。
そうすると互いに探り探りの打撃も増えて、ちょっとした膠着状態になった。
しかし、何もあせることはない。冷静に相手の動きを見極める。そして隙を見つける。
こういうときこそ基本に忠実に、余計なことを考えず、まっすぐ迷わずに突いた。
「ぐぁ……ッ!」
左肩にまともに当たり、エドは苦痛にうめいた、その様子に注意が逸れた俺は、エドの反射的になぎ払ったような反撃に、とっさの反応が遅れた。
「くっ……!」
避けきれず左うでを剣がかすめた。
かすっただけだというのに、目が覚めるような痛みが体をつらぬいた。
少し痺れも感じる、これは後にひきそうだ。
叔父との稽古では鉄剣を使用していたが、そのときはあまり痛みを意識したことはなかった。こっちの攻撃は当たらなかったし、俺の主なダメージは転がされての打撲傷だった。
「……思ったよりやるじゃねぇか、チッ」
「ずいぶん痛そうだな。まだやれるのか?」
「うるせぇ」
まともに命中したエドの方は、俺よりもさらに強く、激痛といえるほどのものを感じているはずだ。しかし、ひるむ様子はなかった。不敵に口を歪ませている。
だが、それは俺の方も同じだった。痛みに対する恐怖はなおも感じない。興奮が勝っているからだろうか。
むしろ痛みのおかげで意識が冴えたような気さえする。かえって集中力が増し、冷静に動きが見えるようになった。
エドの足の運び、一定の型を流れにのって繰り返している。
隙のない動きで牽制の攻撃をいくつか加えたあと、大きな一撃を出す。
正確といえば正確だが、読みやすいといえば読みやすい。
そして反撃の一撃を狙うとするならばと考えて、俺は最後の強撃に目をつけた。
小さく無駄のない攻撃よりも、大きく力任せの攻撃の方が隙を狙いやすい。それはしごく当然、自明の理ってやつだ。
とはいえ、俺だってそんなに器用というわけではない。勝負に出て失敗すれば、それが致命傷になる可能性もある。これは賭けに近い。
しかし、このまま持久戦を続けるというのも良い手は思えない。どちらの体力が上であるのかわからないからだ。エドの方が上なら長引けば長引くほど不利になる。
だとすれば、今はまだ互角といえる状況、勝機があると判断できるうちに動いた方がいい。叔父ならこう言うだろう。何も迷う必要なんてない。やってやれだ。
たまには師の教えをそのまま素直に実戦してみることにしよう。
狙いを気取られないように注意しながら動きの流れの先を読む。やがてくるエドの大振りの一撃に合わせるように、俺はわずかに早く剣を振りぬいた。
「なぁッ!?」
木剣同士が派手な音を立ててぶつかった。予想していた本来の衝撃の瞬間を狂わされてエドは眼を見開いてその動揺をあらわにする。
好機がきた。これを逃すわけにはいけない。
エドの剣を持つ手が天を突くかのように浮き、彼の上半身が空いた。
だが同時に、俺も体勢を大きく崩していた。しかし、ようやく生じたこの隙を逃さすわけにはいかない。足を踏みしめ無理やり体をひねって正面に向き直り、そのいきおいのまま、エドのどてっ腹を思いきり蹴りとばした。
「ぐぁっ!」
まともに食らったエドは後ろへ吹っ飛んだ。
ちょうど領主たちが陣取っている場所まで転がっていった。
「うぐ、……ちくしょうッ」
転倒した際に頭でも打ったのか手で後頭部を押さえている。もうろうとしつつも意識はあるようで、エドは苦痛にうめきながらなんとか起き上がろうとしているようだが、すぐには無理そうだ。
ふと視線を地面に向けると、エドの手からこぼれた剣が俺の足元に落ちていた。
「──それまで」
戦いの終わりを告げる司祭の声が広場に響いた。
どうやら決着がついたらしい。
俺は勝ったのか? なんというか実感があまりない。これは勝ちに慣れてないせいだろうか? というのも、実はこれが俺の初勝利でもあった。
さんざん転がされてた日々も無駄ではなかったというものだ。